今日はアレンジあるあるネタです。「第五音が大事?」の罠と名付けてみました!
大事と言われている第五音、それ、いったいどの第五音ですか?
少数声アレンジで気を付けるべきこと
「第五音が大事?」の罠
吹奏楽の合奏なんかをやっていると、根音と第五音をしっかり鳴らして、第三音は控えめになんて指導を受けることもあるかと思いますが、少人数のアレンジをするときは、このイメージを引きずらないようにしてくださいね。
和音の構成音を省くとしたら…
3声や4声などの小編成のアレンジをする場合、和音の構成音を省略せざるを得ないときがありますよね?
その場合、どの音を省略しますか?
根音でしょうか?第三音でしょうか?第五音でしょうか?
では、実際に聞いてみましょう!
C majorのV→I(ドミナントモーション)の和声です。もっとも基本的な和声進行で、ほぼどの曲にも表れるであろうものです、この進行だけでも曲が作れます。
Iの和音のところを「省略なし、根音省略、第三音省略、第五音省略」の順番で流します。
勘のいい方なら、ここまででお察しかもしれません。
そう、省略の第一候補は「第五音」です。4番目に流れたやつですね。
なぜかといいますと…他の音は省略できない理由があるためです。
根音はいわずとも想像がつくと思います。根音が省かれてしまうと、そもそも違う和音と解釈されてしまいます。
サンプル動画では、もはやC majorの和音ではなくて、E minorの和音に聴こえてしまいます。(といいますか、機能和声に慣れた方には、終わらない、中途半端な感じにさえ聞こえると思います。といいますのも、このIIIの和音は途中に配置されるものだからです。III後にはサブドミナントIVに進むかトニックのVIに進むのが一般的です)
(根音が省略されるケースもあります。もっとも、その調性を性格付けるもっとも大切な主和音ではありえません。繋ぎの和音ドミナントの場合、その性格は根音なしでも保たれるケースがあるため、根音省略が起きることがあります)
第三音はその和音の持つ調性感を決定づける音であるためです。何調かわからなくなってしまいます。3番目に流れたものですが、メジャーなのかマイナーなのかがわかりません。(sus4と言う和音がありますが、それは第三音第四音に転位したと考えます)
ここまでで、想像がついたと思われますが、省略できない音は「和音のアイデンティティを決める音である」と言えます。
それに対して第五音を省略したものについては、響きは貧弱にこそなれ、「なんの和音か?」については、わかる情報が残されています。根音しかり、長短を決める第三音しかり。
以上の理由により、省略できるのは第五音ということは納得していただけたでしょうか?
では、なぜ、こんな話をしているかと言いますと、時々「弟五音が残ったままで、第三音が省略されたアレンジを聞くことがある」からです。
和声というのは、いろいろな和音の組み合わせで成り立っていますし、その和音の最初から最後まで全ての構成音が同時に鳴っている必要はないわけです(分散和音がいい例です。後から聴こえた音で脳が補正できるため)が、時々、延々と「第三音がなーい、なぜ第五音を残しているのだ???」というアレンジを聞くことがあります。
なぜ、第三音を省略して、第五音を残してしまうのか?
では、なぜ、「第三音を省略して、第五音を残してしまうのか?」という現象が起きるのか?「第五音が第三音より大事である」と考えてしまっているからではないかと仮説を立ててみました。
以下、その理由の推察です。
推察1、いい響きを作る、または、音程を取るための練習の影響
これは、例えば吹奏楽で和音の響きの練習をするときに「根音を一番強く、第五音はその次、第三音は小さ目に」なんて指導があると思います。音の合わせ方も、根音→第五音→第三音の順ですしね。で、コレの影響があるのではないか?というものです。
和音をきっちりとる練習として、完全五度を取ってから、三度を合わせるというのは、理にかなってます。
で、この時の印象がアレンジをするときにも残ってしまっているのでは?という推察です。「第三音は小さくていいんだから、そんなに大事ではないだろう!」なんて…
推察2、音階の五番目の音と勘違いしている
第五音を和音の第五音ではなく、長音階ドレミファソラシドの「ソ」、短音階ラシドレミファソラの「ミ」と勘違いしているのではないか?という推察です。
音階のこの2つの音は、属音と言われるもので確かに大切な音なんです。でも、どう大事か?と言われると、属和音の「根音」として大切なのであります。これを混同しているのではないか?という推察です。
上のサンプルで聴こえましたV→Iの和声、音楽で欠かすことのできないドミナントモーションで使われるVの和音の根音です。
推察3 あまりよく考えていない
これもありそうです。「とりあえず演奏できればいいや!」という可能性。そう、これがいけないのか?と問わるれば、実際問題として、聞き手は「第三音がない」なんてこと、気づいていないかもしれません。
もしかしたら、それはそれでありなのかも???
いや、でも、聴く人が聴けばわかりますぞよ…
ここまで、「省略するなら第五音だ」「第三音は省略しちゃいけねぇ」と散々言ってまいりましたが、本当に第三音を省略してはいけないのでしょうか?
第三音を省略するのは本当に悪いのか?
実際のところは、ケースバイケースだと思います。わざと第三音を省くという手法もあります。
たとえば、ロックなどで使われるパワーコードというものがありますが、これはわざと第三音を省略するコードです。
そのほかにも、有名なのだとベートーベンの第九の第一楽章冒頭や、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌの最終和音など。
時々…省略した理由がわからないケースを見つけることがあります。数年前、シベリウスのフィンランディアの最初の木管によるコラールで1か所、第三音がないところを見つけました。省略する妥当な理由が私にはわからず、アレ、忘れたのかな???なんて思っておりますが、実際どうなんでしょうか…?
調性感を曖昧にしたいときなどに使わることがあります。空虚五度と呼ばれるものです。
また、バロック以前の音楽だと、むしろ第三音は嫌われていたとも言われております(ただし、現代の聴感覚にそのまま当てはめてよいのか?は疑問であります)し、逆に、第三音がないと居心地が悪い…というのも、クラシックの和声(とはいいつつ、現代のPOPSも基本的にこれを踏襲していると言ってもよいかと思います)に慣れた耳ゆえで、もっと新しい時代には当然のものとなっているかもれしれません。
結局のところ、第三音がない「理由」が明白でそれに説得力があればいいのでしょう。くれぐれも、「むやみやたらに」乱用すべきではありません。
やっぱり、よーぽど才能に満ち溢れているのでないかぎり、勉強は大事です(自戒をこめ)。
ということはわかっていただけたように思いますが、いかがでしょうか?
クラシックな曲調や現代においてもPOPSの曲調を生かしたアレンジをする際は、この点お気をつけあれ~。
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