私が書くものなんて言うのは、本当にひょんなきっかけで偶然で書くものがほとんどです。
それは身の回りでたまたま起こったことか、偶然出会ったこと。
今回もそうでした。
しかし、時にそれは素敵な出会いにつながるのですね。
たまたま出会った吹奏楽と合唱の作品を聴いてみたら、思いのほか面白い。
しかも、作曲をする側から聴いてみると、気になるところが次々に出てきました。
それが幻想行進曲「雨情」でした。
幻想行進曲「雨情」|吹奏楽と合唱の魅力と作曲家が注目した楽器・和声・書法
音源と前書きのはしりがき
Youtubeが公開されておりますので、貼ってみます。
吹奏楽と合唱の組み合わせも素敵ですね。
タイトルに「幻想」とつくと、いわゆるそのジャンルからの外れ値(悪い意味ではありません)になるようなイメージがありまして、単純な行進のための楽曲ではないという意味において、この曲もその一つかなと思います。
出版社の紹介文から引用しますと
「いきいき茨城ゆめ国体2019」および「いきいき茨城ゆめ大会2019」の開会・閉会式において演奏される目的で同実行委員会より委嘱を受けてつくられました。
とのことです。
野口雨情は明治から昭和にかけて活躍した詩人・童謡作家で、茨城県出身です。この作品は、野口雨情が作詞した童謡をもとに構成されています。
幻想行進曲「雨情」の基本的な情報
イントロダクションと結尾でテンポがやや落ちますが、行進曲にふさわしく、4分の2拍子で進んでいきます。
基本設定された調性は吹奏楽で演奏のしやすい変ホ長調ですが、一部#系の部分やいわゆる長短調とはとらえられない民族的な和音で構成された部分もあり、非常に多面的で抒情的でもあり、いろいろな顔を見せてくれる作品だと思います。
行進曲ではありますが、打楽器が節度を持って使われていたり、声部書法が多彩(例えば、低音部分をごっそり抜き去ってしまう部分)だったり、伴奏音形が(個人的なイメージによる言葉で恐縮ですが)声楽的(よくある、ベースと後打ちみたいな構造ではない)であったりと非常に情感たっぷりで、「幻想」の名にふさわしい楽曲になっていると思います。
是非、演奏会で生で聞いてみたい!
ここまでは、やや感想に近いですが、私も作曲をする端くれではございますので、少し楽曲の中身を見てすごいなと思った点をコメントしていきたいなと思います。
以降、ややマニアックになるかなとは思いますが、ご容赦ください...
ダブルリードの書法から見える、繊細な楽器の扱い
これ、私の好みの話でもあるのですが…
ダブルリードの書法から、楽器の扱いの繊細さが見えるような気がしております。
今は全然でありますが、アマチュア団体でオーボエを吹いていた身としましては、この曲は美味しいなと感じます。
どソロだから美味しい...
というわけではないんですよね。
どっちかというと、どれだけ期待されているのか?というのが推察できると心が燃える。
ユニゾンであっても、響きの変化の役割や場面転換を担っていると感じられるとか、ロングトーンであっても、職人的な細部の美を担わされているんだと感じられるとか。
そういう感じです。
この曲はそのように書かれていると思います。
そして、吹奏楽曲のダブルリードの書法や響きから他の楽器の書法についても推察ができると考えています。
すなわち、どれだけ「その楽器の音にフォーカスをしているのか?」という点です。
例えば...
サックスは頻出する書法と比べると、節度を要求されるものだなと感じますが、それが上品でとってもよいです。
音色にこだわりたい奏者にははまるかもしれません。
実際、サックスって繊細な表現は全然得意ですよね。
七つの子のトランペットソロもとても情感がたっぷりでよい。
この曲を聴いていると、山口哲人さんが楽器そのものの音色や表情を、とても細かく意識して書かれているように感じます。
身に着けてみたい書法
こちらの作品、Sampleのスコアがありまして、おおよそどんなことをやっているのか、音源も聞きながらだとわかるのですが、「自分にない語法だな」と感じるところがありましたので、代表的な3つを書いてみようと思います。
赤い靴の平行音程
平行五度でひたすら動くところが、(にわかで申し訳ありませんが…)グレゴリオ聖歌っぽい。
神聖な感じもするし、やや不気味(畏敬の念を感じるというか…?)もある。
平行音程って数百年以上かけて、また戻ってきた音程が出てくるのですが、やれ禁則が―とか、ロマンチックにしたくなっちゃってーとかで、こういう土着っぽい強烈な個性があってでも効果的なものを避けがちだった気がします。
あえて使えるようになりたい。
きたむきとんぼのsus4ではないsus4
ここDを主とした調性の部分だと思いますし、Fの音が出てくるので、二短調と解釈してもいいの「かも」しれませんが、旋律にほんのちょっと出てくるだけで、和声上は3度の音をたくみに避けているので、短調とか長調とかそういう風に解釈できる部分ではないものとして作っているのだと思います。
とても日本っぽい。
ちなみに、節のタイトルについてなのですが、ここの部分をコードで書くとsus4なんでしょうけど、機能としてはsus4ではないと感じています。
3度の音をつるし上げるので、つるし上げられた4度(suspended 4thということなのですが、ここは3が変化して4になったのではなく、もともと4が本来の位置として設定されているように思います。
私は良くも悪くも機能和声に毒されていると思いますが、こういう感覚は持たないといけないなと思いました。
和の曲というイメージして書けば使えないこともないけど、徹底はできていないな…と思うし和に限定する必要もないなと感じます。
ちなみに、ここの部分のフルートとオーボエについては練習しているところを聞いてみたいと思う部分でもあります。(どんな風に聞こえるのか該当のパートだけ切り出して聞いてみたいと思った部分です)
打楽器を知らなすぎる私
これはこの楽曲だけがきっかけなわけではないのですが…ここ最近、私は打楽器というものを知らなすぎるなと実感しています。
割と昔からあるものや、近代くらいまでのものはだいたいはわかるのですが、最近の譜面は本当に何でも楽器になってしまうのに驚いています。
でも、多分本来打楽器ってそういうものなんですよね。。。
知ったからといって、理由もなく打楽器を多用しようと思うわけではないですし、引き算の美学というのは確かにあると思っておりますので、知ったからといって使うかというとそれは別問題なのですが、でも知らないというのはやっぱりよくない。
そう感じました。
仏りん、なんかもちょっとバチがあたりそうな気もしちゃうけど、済んだいい音ですよね。寺なら鳴って当然かとも思いますし、色眼鏡を外した方がいいのかなと思いました。
そして、もともとなじみのある楽器なのに、目からうろこなのが、サスペンデッドシンバルの書法でした。
地味な部分かもしれません。
でも、自分にはない発想でした。
それは、打撃で伸ばしてからのサスペンデッドシンバルのトレモロ。
サスペンデッドシンバルは、pからcresc.いして、ここぞとばかりにドーン。とやる楽器だとばかり思っておりました。
「あ、こういう使い方してもいいんだ」そういう発見です。
地味かもしれませんが、自分にとっては比較的大きな発見でした。
最後に、なんだかとっても沁みてしまうあの町この町
変ホ短調という♭が6つもついてしまう調ではありますが、なじみのある変ホ長調の派生形と考えるとそれほど身構えるものではないと思います。
この強奏での変ホ短調の部分。
サックス、金管とヴォカリーズによるコードの上を、高音木管であの町この町を歌い上げる。
この部分、ぐっと来てしまいます。
深刻にも感じられる複雑な短調の響きから急に変ホ長調に明転して、思い出したようにしゃぼん玉が鳴り響き、曲を堂々と締めくくる。
いやぁ。とてもいいです!
と、作曲をする身としても、勉強させられた楽曲でしたし、あと単純に曲が良いと感じます。
是非、聴いてみてください。
そして、生演奏をぜひ聞いてみたいなと思った今日この頃なのでした。