今回は実験的な試みです。
これは、バッハが大の苦手、モーツァルトもそんなに得意ではなかった、私が学が足りないなりに、勉強した結果をまとめた考察記事となっております。
その前提で、読み進めていただければと思います。
最初に断りますが、わかりやすいように、ちょっと極端な言葉を使っています。
これが正解ではなく、こういう考え方もあるんだなという認識をもとに、読まれた皆さんが興味を持ち、自分なりの答えを見つけてくだされば、とてもうれしく思います。
ベートーベンの楽曲を前打音付きで書いてみた ~モーツァルトの前打音とは!?~
さて、本題です。
モーツァルトの前打音(斜線のつかないもの)の理解のために、ベートーベンの楽曲を使ってしまおう!?という試みです。
前打音は装飾音ではない!?
なーんで、こんなことを思いついたか?と言えば。
一見、普通の装飾音符に見えるモーツァルトの前打音、実は(現代の一般的な)装飾音符ではない!という事実を知ったからであります。
※装飾音ではないわけではなく、現代奏法で一般的に装飾音符として書かれる装飾音ではないという表現がより正確かと思います。
そうなんです、モーツァルト(およびそれより前の時代)の前打音には、現代奏法における一般的な装飾音とは異なるものが存在するのはご存じでしょうか?
それは、前に簡単に触れた、斜線のつかない装飾音符です。
モーツァルトの譜面に見られる長前打音とは?
例えば、長前打音とはこんなもので、実際の演奏はこんな感じにすべきものです。
例として、リンクを拝借させていただきます。
こちらの譜例を見ていただくと、現在一般的にイメージする装飾音符とは違う、と言った意味がお分かりになるのではないでしょうか?
長前打音は装飾禁止マークである
では、なぜ、このような音符(長前打音)が書かれたのか!?
現代の感覚で言えば「え、普通に書けばよくない?」というのが答えではないでしょうか。
でも、この書き方ではダメな理由があったのです。
その答えとは「作曲者の意図通りに演奏してほしいから」です。
は、何を言っているのか?と思われたあなた。
その感覚は正しいです。そう、現代の記譜法においては。
では、現代と当時で何が違ったのかというと、「バロック時代は奏者の裁量で装飾を入れるのが当然であった」ということを考慮に入れる必要があります。
そう、バロック時代は楽譜に書いた通りに演奏されるわけではなかったのです。
(もちろん、楽曲の雰囲気や、装飾の慣習を無視した無秩序なものではなかったことと思われます)
ここまで聞いても???が消えないと思いますが、もうちょっとお待ちください。
楽譜通りに演奏されない奏者が裁量で装飾を加える文化のあるなかで、では、どうやったら作曲者が奏法を厳密に定めることができるのか。
その答えが、長前打音と考えられます。
長前打音は「奏者の裁量による装飾NG(装飾方法を作曲者が限定したこと)」を示す方法だったと言えるわけです。
確か、バロックからモーツァルトにかけての奏法の本を持っていたのですが、実家だ。。。判明次第リンクを貼ります
申し訳ございません。。。
こちらにその記載がありました!
「第8章 装飾音符の種類」の「2.前打音(Vorschelag、Appoggiatura)」「2)前打音の判断に必要なポイント」
長前打音を記載することで倚音の機能が失われるのを防止している
ではなぜ、勝手な装飾を施してほしくないのかというと、それは倚音(appoggiatura)であるからです。
倚音は音楽表現における最重要ポイントの一つである
倚音は、異質で、意味の強い非和声音で、和声音同士をつなぐ経過音、和声音の単純な装飾をする刺繍音などとは一線を画す存在です。
イメージ的には、コップから水がこぼれる寸前のエネルギー感、ダムが決壊する寸前のエネルギー感といった感じでしょうか。
不安定の極みの手に汗握る感じ。
といった種類の音です。
補足的に、倚音についてはこちらをご参照いただければと思います。
関連記事としてよかったらこちらもどうぞ
ここまでの言葉から、倚音(長前打音)のエネルギーの強さと音楽におけるその意味の強さがわかっていただけたのではないでしょうか。
そんな意味の強い音なので、「勝手に効果を打ち消すんじゃねぇ」と作曲家が思うのも無理はないと思います。
ちなみに、この記譜方法が廃れていったのは、演奏家が裁量で装飾をする文化が消え(いろいろな背景があると思います)、楽譜の情報量が増大し、作曲家が演奏者をより縛るように変わっていったからでしょう。
長前打音の理解を深めるためのイメージ戦略
言葉だけではちょっとイメージしづらいかも…ということで、視覚的なアプローチをしてみます。
ベートーベンの譜面を長前打音で書いてみる
以下は、ベートーベンのト調のメヌエットの一部です。
上はIMSLPにあった譜面を写譜したもの、下は上の譜面をもとに、長前打音を用いて描いてみたものです。
こうやって、実際の譜面を見てみると言わんとすることがわかりやすくなったのではないかと思います。
ちなみに、倚音の効果を知るためには、あえて下の楽譜の前打音を抜いて演奏してみることをお勧めします。
倚音を抜いて演奏すると、和声的な緊張感が抜け、響きの面白さががくんと落ちることがわかっていただけると思います。
このように、倚音ありとなしを実際に弾き比べてみることで、その重要性を知るとともに、作曲家がなぜ、そのように書いたのかを知る手掛かりになるのではないでしょうか?
楽譜を読むというのは奥が深い行為である
そして、長前打音の「弾き方」だけ知っているのと、その「機能」「意味」やなぜそのようなものが生まれたのかという「背景」をも知っているのでは、演奏へのアプローチの質も大きく変わるであろうことは想像に難くないと思います。
かくいう私も、このことを知る前と知った後では大きな変化がありました。
モーツァルト以前の楽譜の読み方が変わりましたし、モーツァルト以前の楽譜の読み方が変わったことで逆にそれ以降の楽譜の読み方にも進歩があったように感じます。
すなわち、この長前打音の存在から倚音というものとその重要性を再認識するに至り、バロック古典の楽譜の書き方から、ロマン派以降の楽譜の読み方(現代では、装飾として書かれないことの多い倚音の見つけ方)が深くなったことを実感しています。
ということで、辛いことの多い楽譜を読むということが少しでも楽しくなって、また、よりよい演奏をするきっかけに少しでもなってくれたら、うれしく思います。
毎回書いていますが、一つの案に対して、反対意見をもって試してみるのも面白いことだと思います。
ふと思い立つことがあれば、このような記事も書いてみようかと思います。
以下、蛇足の妄想です。
IMSLPからは自筆譜の確認ができませんでしたので、なんとも言えませんが、もしかしたらベートーベンも長前打音で書いていたかもしれませんね…
追記
最後に、ピアノの演奏とは、心で感じ頭で考えたことを運動神経を用いて体を制御し楽器を操ることである。と最近感じています。
ピアノの演奏(楽器の演奏と言ってもいいかもしれません)はある意味において、器具を正確に操る運動と言ってもよいのではと感じています。
身体能力は年とともに衰えますが、最近では、学習と経験でどこまでカバーできるかな?と思って演奏しています。
関連記事
長前打音のサンプルに拝借したベートーベンのト調のメヌエットについて書いた記事です。
このような比較的単純な楽曲は、楽曲分析の練習に適していると感じています。