POPSにも果敢にチャレンジ!クラシック作編曲家 かずまるの音楽日記

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かずまる第17回 捧げる歌

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かずまる第17回 捧げる歌

 

 

 

第17回(正確には15回…前回2回数え間違えて16回を配信してしまっています)のSpoonの配信を行いました。

 

こちらです。

 

https://www.spooncast.net/jp/cast/3558203

 

今回の曲については、YOUTUBEは未公開です。

やりたいことがあって、ちょっと先になると思います。

 

なので、ご面倒でも、こちらのURLから聴いていただけるとありがたいです。

 

歌詞

今回はこんな歌詞にしました。

一足先に聴いてくれた友人からは、起きた出来事を当てられちゃいました。どんなことを書いたかわかりますでしょうか?

曲を聴きながら読んでくださったらうれしいです。

 

「思い出の写真」


小さかった命抱き、小さかった手を取り
歌い聞かせてくれた道
白い息吐き、夕暮れ時を、つれられたのはいつか
遠く懐かしい真っ白な日の思い出

 

嬉しい時も、辛い時も
いつもと変わらずに、
ただそばで、見てくれていた
今思い出してみれば、穏やかな空間


あふれ出るあなたの喜びの顔は
生きる勇気を与えるでしょう
分かれた枝が太くなり
やがて幹となる力を与えるでしょう

 

 

喜びも苦しみも乗り越えて、ただ生きた
歩み続けていれば、道はできる
先が細くなろうとも、歩みが遅くなろうとも
進めるだけ先へ、ゆっくりと進んだ。

 

いらだち怒り、嘆き悲しみ、
傷つけたこともあった
それもこれも昔の話
今思い出してみれば、苦く甘い一枚(思い出※)

 

写真の中でほほえむあなた
その時何を思ったでしょう
今知ることはかなわないけれど
それは私を強くするでしょう

 

 

ちっぽけな枝、たよりない幹、
か弱いことに気づきもせず、
しなやかに、ひたむきに、ただただ生きた。
平凡な日々と、人は思う、かもしれないけれど、
新しい輝きを秘めた命を生み出した
これぞ、わが人生

 

 

あふれ出るあなたの喜びの顔は
生きる勇気を与えるでしょう
まいた種は花開き実を結び
あなたを世界へ羽ばたかせるでしょう

 

いつまでも、忘れずに、そっと覚えています。
ありがとう。
さようなら。

※実際には思い出で歌っちゃってますが、一枚と迷っていたりします。

思い出してみれば…思い出…というのが繰り返しでおかしいかなって言うのが理由なんですが、一枚もあまりしっくり来てないんですよね。

変えちゃうかもです。

 

 

作曲の経緯

Castを最後まで聞いてくださった方はもうご存じかと思います。

そうでなくとも、友人には、歌詞を読んでなんとなく分かったとも言われましたし、察しのいい方はもうお気づきかもしれません。

 

この前の記事で申し上げましたし、Castでもお話しましたが、自分の解釈を大事にしたい、上書きされたくないという方もいらっしゃると思います。

そういう方はどうぞ、このセクションは読まないでバックされることをお勧めします。

 

そうでない方については、もう少しお付き合いいただければと思います。

 

 

今回のブログおよび配信のテーマは「捧げる歌」としました。

 

捧げるとは、いったい誰に向けて?というのが肝心なところかと思います。

 

ズバリ申し上げますと、それはわたしの祖母「おばあちゃん」に向けてであります。

 

実は、今年の夏に亡くなりました。

亡くなる直前に体調を崩すことが多くなったんですが、何度も持ち直して「まだまだ生きられるかもしれませんね」なんて医師からお話されていた矢先の出来事でした。

とはいっても、長生きはしたと思います。

100歳には届きませんでしたが、大往生と言っても過言ではないかもしれません。

 

生まれてすぐ、年子の弟が生まれた僕はおばあちゃん子でした。

母は生まれたばかりで手のかかる弟の面倒を見なければなりません。なので、祖母によく面倒を見てもらっていました。

「おお寒、こ寒」なんて、歌と呼べるかわからないような歌ではありましたが、冬の夕暮れを一緒に口ずさみながら散歩したことを覚えています。

 

自分は居間にいる子供でした。中学生高校生になってもそうで、居間で過ごした時間は家族のだれよりも多かったかもしれません。

そして、そのそばには必ず祖母がいました。

 

そんな大好きなおばあちゃんでしたが、亡くなったと聞かされた時はイマイチ実感がわきませんでした。

今年の夏はちょうどコロナの感染状況が悪化していたこともあり、お葬式には私は行きませんでしたし、行けませんでした。

そんなことが影響しているのかなと思います。

父とも話をして、納得しての決断でしたので、後悔はしていませんでしたが、なんとなくふわふわしたまま時間を過ごしてしまいました。

 

そして、49日の法要を迎えました。

親族も限られた者のみが参加した、ひっそりしたものでしたが、それには参加しました。

 

すでにお骨になってお墓に埋まってしまっている状態で迎えたので、ちゃんとしたお別れのプロセスは踏めていないのかな…と、変わらずあまり実感がない状態だったのですが、その時に受け取ったあるDVDを観た時に気持ちが変わりました。

 

そのDVDとはお葬式の時に流れていた、祖母の思い出の写真をまとめたものです。

 

それまでは、正直悲しいという感情もさほど感じられなかったんです。

でも、そのDVDを観た時、「あぁ、おばあちゃんは本当にいなくなっちゃったんだな」と感じ、それと同時に、いろんな思いが蘇り、こみ上げてきました。

 

  • 生まれたばかりの僕を抱いている写真
  • 僕を抱いた母と祖母が一緒に写っている写真
  • (多分、)僕の誕生日を祝ってくれている写真
  • 年下のいとこが生まれた時の写真
  • 伯母親子との旅行した時の写真
  • デイサービスでの写真(大きな枝豆を収穫してとっても嬉しかったみたいです)

 

ここに挙げたもの以外にも、たくさんありました。

 

中には、満面の笑みとは言えないような写真も混じっていましたが、そのすべてが祖母の人生の一枚を映したもので、どれもにその時の気持ちが表れているようでした。

祖母のみならず、そこには母の気持ちも、伯母の気持ちも、いとこの気持ちも、祖母とかかわった色んな人の気持ちがうつっているような気がしました。

 

いい写真でした。

 

それと同時に僕という人間は、こんなに大事にしてもらっていたんだなということにも気づかされました。

 

家族の愛情とか気持ちとか、ともすれば、あることを当たり前と感じ、日常の一部として埋もれさせてしまいがちなものですが、その写真たちはその気持ちを鮮明に思い起こしてくれるものでした。

 

今までも決して不幸だったわけではないし、大事に育ててもらったと思いますが、特段意識したことはありませんでした。

 

でも、この写真たちはそれに確信を与え、強固にしてくれるものでした。

僕を抱いている写真、僕を抱く母と一緒に写っている写真の中のその祖母の本当にうれしそうな表情、その時本当はどんなことを思っていたのか、それはわかりませんが、でも、その顔は僕の気持ちを変えるのに十分すぎるものでした。

自分という人間が生きていていいんだな。そう思えるようなものでした。

(誤解なき様に申し上げますが、特に思いつめたりしていたわけではありませんので、ご安心ください)

 

祖母の死というのは、不幸な出来事でしたが、大事な人はいつかかならずなくなってしまいます。

ちゃんと孝行してあげられたのかな…と考えると胸を張っては言えません。

でも、亡くなってからも僕を元気にさせてくれた祖母に、せめてもの感謝として、今感じているこの気持ちを伝えたいなと思いました。

そして、この歌は生み出されました。

 

この歌を書いたことで、僕はことあるごとに、祖母のことをより深く思い出すと思います。

 

それのみならず、もし、同じような経験をされた方に共感していただけたら、うれしいなと思います。

 

きっと、自分は大事にされたんだなと思える、何かが、だれにでもあるんじゃないかなと思います。

どんなもので誰からのものかは、わかりませんが、きっとある。

そして、それはあなたを勇気づけてくれるものだと思いますよ。

 

とり止めのない記事となってしまいましたが、今回はここらへんで失礼しようと思います。