本編の全カテゴリがまだ描けていないにも関わらずの番外編です。
あっはっは。
小休止というか、書きたいことができたというか、なので、多めに見てくださいませ。
ということで、本編です。
突然ですが、詩を作ってみました。
優しい世界 by かずまる
人の役に立ちたいからと力を注いでみたけど
望みと離れていくような気がしてしまう
気のせいであってほしい
いつか、きっとどこかで合流できると思いたい
頑張り続けることができるだろうか。
耐え続けることができるだろうか
今は想像すらできない未来のために
歩き続ける事ができるのだろうか
空に飛び、水に包まれ、火の世界に生きる。
今、この瞬間に時が止まってくれたのならば、もう望むことはあるまい。
深く眠り、霧に包まれ、夢の中をさまよう。
安らかな眠りの幻想に囚われ、思いはせる魅惑的な世界を。
望む未来を手に入れるため、
自分を汚し、人を汚し、堕ちていく
それは気のせいかもしれないのに、
事実のように襲い掛かってくる
息をし続けることができるだろうか。
ゴールを見続けることができるだろうか。
保証などなにもない未来のために
走り続けることができるのだろうか
空に飛び、水に包まれ、火の世界に生きる。
今、この瞬間に時が止まってくれたのならば、もう魅せられることはあるまい。
深く眠り、霧に包まれ、夢の中をさまよう。
安らかな眠りの幻想を恐れ、逃げたくなる魅惑的な世界を。
「さよなら」と口にするのはどの未来でだろうか
歌詞のつもりで作ったのですが、歌にするかどうかはまだわかりません。
また、現時点では歌詞とは言えないように思います。音を当てはめるには、足りない部分や過剰な部分があるからです。
今回の記事で何が言いたいかと申しますと、タイトルの通り、「歌詞(詩)を作るのは、頭と心の整理になります」ということです。
この記事を読んでくださっている方の中には、人に言いづらい悩みを抱えている人もいるのではないかなと思っていたりします。
そして、悩み事について考え出すと頭の中でどんどん膨らんでしまって、辛くなってしまうなんてことがないでしょうか?
自分がしてしまいがちであります。
こんな時に想像力を働かせる必要なんてないのに、悩んでいることについて、それが過剰に働きすぎてしまい、悪いほうへ悪いほうへ考えてしまう。
ちっぽけだった悩みがどんどん膨らんで、押しつぶしにかかってくる。
実際にその通りになるかなんて、わからないのに。
この状態ってとても辛いんですよね。
この世の終わりか…と思ってしまうこともある。
大げさですが、本人真面目にそう思っていたりもしますよね…
そんな時に、今の気持ちを整理するために歌詞にしてみるというのを今回はおすすめしています。
そもそも、「悩み事は紙に書いて外に出すべし!」というのは、よく言われていることでありますね。
紙に書くことで情報が整理されて客観視ができるようになる。ということのようです。
情報の整理だけでなく、辛い感情を紙に書くというのも大きい効果があるようですね。
でも、ふと、この感情を共感してほしい…と感じることはないでしょうか?
そんなときは、こういった形の「ブログ」にして書くという方法が使えるのですが、でもそれがしづらい内容だったら?
例えば、世の中的に忌避されるようなことを共感してほしいと思って書きたいと思った時に、ブログのそのまま書けるでしょうか?
匿名でやっているしばれないんだから平気じゃん?と思われる方もいらっしゃると思いますが、こういったタブーを書くというのは身バレしない…という問題でけではないんです。
タブー視されているものについて意見や気持ちを書いた場合「そんなことは考えるもんじゃないよ」と好意(?)から言ってくださる方がいたりします。
それについては、よくないこととされている語句についてウェブで検索するとたくさん出てきますので、ご興味のある方については検索してみてください。
ちょうど最近目にしたのですが、タブー視されることについて表明した時に、かけてほしい言葉は批判ではないと思うんです。
「それは良くないことだから考えるもんじゃないよ」といさめることではないと思います。
誰しも、ちらっとよくないことが頭をよぎってしまうことってあると思います。
そんなときは、なんでそんなことを感じてしまったのか、寄り添ってほしいということなんではないでしょうか。
例えば、「私にはよくわからないけど、辛かったんだね」という一言が欲しいのではないでしょうか。
だけれども、現実問題として、そういう言葉をかけてほしいということであれば人を選んで伝えないといけません。
でも、そういう人がいない場合もあるかもしれないし、別のことについてはそれを言える人のことで悩んでいる場合もあるかもしれません。
全然知らない第三者の言葉がありがたいということもあると思うんです。
気持ちを吐露したいけれども、批判されるとより辛くなる。。。
そんなときに、「歌詞」「詩」にしてしまうというのは効果的なんじゃないか。
そう思いました。
「歌詞」「詩」にすることで、その感情を自分と切り離した別のものとしてとらえることができるように思えます。
また、「歌詞」「詩」は説明文ではないので、あまり具体的に描写することはありません。むしろあいまいで、いろんな解釈ができるものが好まれると思います。
なので、タブー視されている事象についても、それをそのまま書く必要がないわけです。
具体的な言葉ではなく、比喩的な言葉で書けるということです。
そうした場合、直接的な批判の言葉は来ないことでしょう。
来たとしても、「それはあなたの解釈ですよね?」という逃げ道が作れます。
これは、批判されたくない人にとっては大きな保険のようなものになると思います。
このようにぼかして書き第三者から見たら「幻想的な言葉」に見えたとしても、書いた本人にとっては全く別です。
書いた本人は、どういう意図を込めてその言葉を選んだのか、明確だからです。
読み直しても、はっきりと実感することができます。
もう一つ、逆説的な効果として、書いた本人は込めた意味は自覚しながらも、その文面からはその直接的な言葉は降りかかってこないということです。
タブー視されるような言葉ですから、自分にとって良くない影響を与えることもあるでしょう。
でも、それが別の言葉に置き換えられているのですから、歌詞を読みなおし、再度自分の中に取り入れる段階になったときには、その言葉の負の側面は弱まっていると言えるでしょう。
こういったプロセスを踏むことで、心の整理ができるのではと思っています。
詩、歌詞を作るというのは、言葉を使うことさえできれば作れます。
もし書けないというのであれば、録音をすればよいのです。
是非、渦巻いている感情を整理するために、やってみてください。
この言葉を、自分自身へもかけてあげようと思います。
追伸:
こんなブログ記事を書いている時点で、「優しい世界」がどんな内容を表しているかなんとなく分かった方もいらっしゃるかもしれませんね。
コメント等あれば、いただければと思います。
人の目に触れないメッセージのようなものでももちろんかまいません。