田中玲子ユーフォニアムリサイタルVol.11 無事終演いたしました。
台風被害のある中ではありましたが、「自分たちに出来ることはこれしかない」ということで、決行されました。
結果的にはやってよかったのではないかと思います。
The Red Catsのみなさんのパフォーマンスは元気を与えてくれました。大変な時であったとしても、全員がふさぎ込む方向に行くのではなく、時には気晴らしも必要ですし、経済活動に加わることも必要なことだと思います。
それが、もっと先を見越した
さて、自分の反省。
多少の瑕はありましたが、今回は自分比でかなりよい演奏ができたと思います。
過去には、練習でしたことのないミスを繰り返し現れるフレーズで、しかも同じように何度も間違えたにも関わらず、最後に成功させてしまうという、忘れられない失態を繰り出したことがございます。なぜ、最後だけ成功させてしまったんだろう過去の自分。全部同じように間違えたらそういう曲だと思ってもらえたかもしれないのに…
てなわけで、一年で一番大きな伴奏仕事は終わりました。しかーし、まだまだ年末に向けて、何度か演奏会には出演いたしますので、みなさんどうか応援をよろしくお願いいたします。
一次会は裏方をやってくださったお二人とThe Red Catsのメンバー五名、私、田中さんの計9人で行いましたが、みなさんバスの時間が迫っており早々に解散いたしました。
ちょっと出てくるのが遅かったっすよね…ベテラン店員さんが来てから格段にスピードアップしましたが…
さて会場を変えて、二次会の写真。
館山の海岸沿いの「くるまやラーメン」。
ここ食べ物がとても美味しくて、飲み屋としてとても優秀です。この写真のチャーシューメンマなんて絶品(泣) 翌日ニンニク臭くても構わない人は是非堪能していただきたい。
電気工事作業員と思しき方も夕食を採っておりました。房総はまだまだ復旧が必要なところが多いです。このお店のすぐ近くでもまだ電気が点いていないご家庭がありました。本当にお疲れ様です…
おいしいツマミとお酒と、ラーメンと…ごちそうさまでした。
さて、ここへきて少し戻ります。
タイトルの件なのですが、数か月前に途中まで読み進めておりました「蜜蜂と遠雷」をこのリサイタルの前後で読み切りました。
直木賞、本屋大賞を受賞した話題の作品です。
とあるピアノコンクールを題材にした作品で、主に4人のコンテスタントとそれを取り巻く人達、友人、審査員、記者、ステージマネージャなどの視点で、3つの予選と本選の熱い日々を描いています。
文庫のあとがきを読むと、どうやら細々とした連載をながーく続けた末に完成した作品のようで、構想によっては、結末が変わっていたかもしれない可能性があったみたいです。それはそれで読んでみたかったかも。
多くの曲が出てきますが、それを知っている必要はなくて、ピアノとそれを題材にした競技会(コンクールなので、熾烈な勝負の世界なんですよね、しかも孤独な戦いです)を通しての「成長譚」なので、お気軽に手に取っていただきたいと思います。
なんて、直木賞も本屋大賞もとっているくらいなので、多くのみなさんは既に読まれていることでしょう…
書ける予感がしたら、いつか感想を記してみたいなと思います。
というくらい、世界観が素敵でふわふわしております。
と、また前置きが長くなってしまいましたが、この本をリサイタル前後に読んだことは本当によかったなと思いました。
というのも、音楽を始めたころの事、練習をしている時のこと、ステージに立つまで、ステージ袖にて、いざステージに立って演奏している時、審査の結果を受け取った時…といった数々の心理描写が、「音楽っていいな、演奏ってこういうことだよな」という気持ちや信念を再認識させてくれたからです。
私のような端くれの端くれの端くれのような音楽家においては、ややもすれば、そういった大切な気持ちを頭の片隅に追いやってしまいがちなのですが…この小説はそのことを心の表の方へ引き出してくれました。
このことは、少なからず、今回のリサイタルの伴奏に対して影響を及ぼしたことを確信しております。
音楽は理論や技術も大切ですが、やっぱり一番は「心」なんだなと思いました。
どれだけ技術があっても、「心」がなければ、自分の「歌」がなければ無味乾燥なものになってしまうでしょう。
曲に真摯に取り組もう、こう演奏しよう、こう歌おう、こういう構成にしよう、こういうことを伝えたい…という「心」を大切に今後の本番を迎えようと思います。
大事なタイミングで読み直したい本が増えました。
一点、「心が大事」というと、「技術や理論より心が大事」と技術や特に理論をないがしろにするような発言をされる方が時々いらっしゃるのですが、それ自体が「心」を大事にしていない行為であるということを、一度振り返ってみていただきたいと思うことがあります。
心を込めるということは真剣に取り組むということです。理論の学習や楽曲の分析、研究なしにどう真剣に取り組むというのでしょうか。
「この部分のこの音はどういう意味合いを持つのだろうか?」
「この構成から逆算すると、この部分はどういう役割を持たせるべきだろうか」
「この部分のフレーズはどういったものであろうか?」
たとえば、このような疑問に対して、理論の学習や経験知によって答えを出すことによって、はじめて奏法や音色が決まると言えるのではないでしょうか。
そんな全部なんてわかってなくてもいいんです。自分で考えたり勉強したりという姿勢がだんだんと自分の演奏を興味深く、説得力があり、感動させるものに変えていくと思います。
ということで、少しでも「楽典」や「理論」について学習すると良いと思いますよ!
ということで、少し宣伝をしてしまう、あこぎな私…
わかりやすい説明を心がけました。「何も知らない」のと「こういうものがあるんだ」と知っているのだけでも大きな違いです。
そういえば、難聴ですが、リサイタルの前日土曜日にほぼ症状が消えました。よかった…本当によかった。
低音障害型感音難聴は治るということを経験いたしました。全員に適応できるかは、不明ではありますが…
ただ、ぶり返しやすいという情報を見ましたので、気を付けないと…疲れを溜めすぎないように。
なんて、言っておりますが、引っ越し、転職の時期に、ありがたいことにアレンジ仕事が2つ舞い込んできました。お祭りの対応も必要なのですが、頑張ってこなしていこうと思います。
ということで、更新間隔が少々空くかもしれませんが、忘れないでくださいね…