POPSにも果敢にチャレンジ!クラシック作編曲家 かずまるの音楽日記

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鴨川吹奏楽団 第26回定期演奏会終わりました

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ご来場くださった皆様、誠にありがとうございました。

一時はどうなることかと思われた定期演奏会ですが、無事に終演を迎えることができました。

 

今回も集中した熱量の高い演奏ができたと思います。

その点は本当に頑張ったと思います。

 

でも、今回はいつも以上に私も頑張りましたとも。ええ。

2週間前の合奏の時に、やばい曲をこなさねばと思い、声を荒らげました。(ほんと、そんなことはしたくはないんですよ…でも言わないと伝わらないの)。

1週間前の合奏。私は参加できませんでした。でも、きっと進歩しているだろうと高をくくっていたんです。でも、SOSが届きました。

合奏の音源を聞いて、月、火、水の3日間で、出来てないところをリストアップいたしました。(若干…という枕詞では許されない程度の怒りがこもってしまったことを今この場でお詫び申し上げます)

ステリハでも、フォローに回りました。

 

そう、すごく頑張りました。

 

でも、みんなも頑張っていたんだなと、ゲネプロ、ステリハ、演奏会本番を通して感じていました。

  • 拍にはめるのは苦手だけれども、譜読み自体の間違いは0な今回の大ソリストさん!
  • リストアップした項目について質問しに来てくれたたくさんの方。
  • リストを見て仕事後にこそ練をしてくださった皆さん。
  • ステリハでうまくいかなかったところを、自ら関連奏者に交渉して何度も練習していた団員さん
  • 今回に限らず、毎度毎度声をかけ、気にしてくださっているたくさんの方々。
  • 指摘一覧のリストを見るように呼び掛けてくださった皆さん
  • 丁寧にステージリハーサルに付き合ってくださった指揮者様
  • そして、めげそうになりつつも、今回の私的リスト作成にご尽力くださった方々。

 

今回の演奏会は、皆さんの気持ちも推し量れるいい機会でありました。

その気持ちはうれしく思います。

 

でも、ちょーっと疲れちゃったのも事実ではあるんです。

 

今回のその熱量をもう少し前から生かせないものか…と思います。

 

でもね、練習は百歩譲っていいんです。だって、私は練習を見る役割にはいたので、別に必要なことなので苦言を呈するのもかまわないんです。(フォローは欲しいけれども)

 

だけれども、運営の杜撰さにはとても憤りを感じていました。なぜなら、ほとんどの項目の決め事を一人の人間がしていたからです。

私は、そういう姿を見るのは嫌なんです。本来分担してやるべきことです。40人以上団員がいるのに、それをほとんど一人がやるっておかしいと思います。ほかに役職についている人はいざ知らず、そうではない団員もたくさんいるのに...です。

私は、そういう環境は本当に嫌いです。事情があって、またはやる気がなくてできないわけではないのに、その状態にしてしまっていることにです。

 

本来、私は演奏時の指示だしと練習を見るのが役目です。それだって重大な任務だと思います。(今回の定期演奏会、客観的にみてかなり貢献したと思います。今回の演奏会は奇跡が起きたんではなくて、なるべくしてなったんですよ。指揮者も私も音楽の方向性や合図をたくさんだしました。全員ではないけれども主要メンバーはそれをくみ取ってくれました。今回の演奏がゲネプロから比べて急によくなったのはそういう理由だと思います。そんな奇跡なんて言う偶然できましたっていう一言で済まされたくありません。)

今季は欠席が多くて全うできませんでしたし、時間外の活動が多い役職ではありませんが、でもそれなりに負担のある仕事ではあります。

 

いや、負担があるから嫌だというのではなく、なんだこの不公平感は?と常々思っていました。

 

この団は、みんなの団だよね?

 

私が望んでみんなに参加してもらっている団ではないよね?

と、運営の杜撰さと消極的な様子をみるにつけ、常々思っていました。

 

本当に嫌でした。

 

 

 

だから、もっと運営を改善しませんか?と本当に思ってます。

もう、ずーっと何年もです。

 

やれることをやれる人がやればいい…それ自体は否定しません。それが理想形なのもわかります。

そのスローガンを掲げて、適切なレベルで切り分けができて、自然に役割分担ができて、負担が平均化できるのであれば。

 

大集団の団体なので、別に全員が平等に負担を負えとは思いません。

事情はそれぞれ異なります。

 

家庭に仕事に忙しいかた、体の強くない方、悩みを抱えている方、浅い付き合いをしたい方etc…いろいろいると思います。

各々費やしたい時間もレベルも異なると思います。最低限のラインというものは必要だと思いますが、別に、全員が同じ熱量で同じ水準で臨む必要なんてないと思っています。

 

それぞれ、事情は異なります。時間の余裕も人それぞれ、体力も人それぞれ、忍耐強さも人それぞれ…みんな共存していいんです。

 

でも、そういう余裕を持つということと、役割分担のマネジメントを放棄するということは違います。

 

できる人がやればいいという考えの元、放置した結果、スーパーマン一人がほとんどすべてを取り仕切って演奏会の段取りをする...に留まらず、日常的な業務もこなす。。。

なんて状況は、どうかんがえてもおかしいです。

 

実態としては、その人がスーパーマンでできるからやっているのではなく、やらざるを得ないから能力値を超えてもやらざるを得なくなっている。が正解ではないでしょうか。

なので、業務の分量が適切になるように切り分けをし、介入するのは当然のことだと思います。

 

また、やれることをすればいいんだから、やることを減らせばいい。という考えについても、疑問があります。

 

もし、今やっている負担を減らしていのであれば、自主公演はやめるべきでしょう。

 

今、鴨川吹奏楽団で行っている演奏会企画で執り行っていることは最小限のものだと思います。

  • 広報用のポスター作製
  • プログラム冊子作製
  • MC原稿作成
  • 当日のタイムスケジュール作成
  • 打ち上げ係
  • 運送手段の確保
  • 楽器借用の手続き
  • ホール取得
  • ホールとの打ち合わせetc…

 

単独公演をしようと思ったら、これは最低こなさなければならないラインでしょう。

仮に宣伝をしないで演奏会を開くって、意味があると思います???

人に聞かせたいから演奏会という形をとるわけであって、ただ演奏をしたいだけであれば団内発表会でもことたりるんですよ。でも、それでこんなモチベーションを保てますか???

 

品質を落とすという対応もできますが、なくすことはできません。品質を落とす程度では負担はそう変わりません。結局段取りはしなくてはならないからです。

品質を落としたら、モチベーションを下げることになるでしょう。

品質を落とすことで大きな余裕が生まれるのであれば積極的に検討すべきことでしょう。でも対費用効果は???

(ちなみに、外注する手段を確立してので、すでに高品質な状態のまま丸投げすることもできる状態です)

 

 

単独公演を開催するにあたって、これが必須なことだとして、こんなの一人でこなすことだと思いますか?

 

本来であれば、分野ごとに、1人、いや2人一組以上で取り組むべき事柄ではないでしょうか?

組織を存続させていくのであれば、2人以上でやるべきことですよね。

その組織が、居場所として必要な大事なものであるとしたら、後進や代わりの人が担当できるレベルにするのは当然のことでしょう。

 

だって、そのスーパーマンがいなくなってしまったらどうするのでしょうか?

倒れてしまったら?

気力が尽きてしまったら?

 

そしたら、存続ができないんですよ。

 

 

また、団員一人一人にとって、役割が任されていないお客さんの状態であることは、幸せなことなのでしょうか?

 

今日の本番後の片づけを見て「みんな、よく働くなぁ」と本心から思いました。

誰に言われたでもなく、自分ができることは何だろう?と考えて自ら動くということができているんですよ。

すばらしいことではないでしょうか?

 

役に立ちたいと思っているからゆえの行動です。

 

でもね。

 

気持ちがあっても、自らやるべき役割を見つけてそれを全うする。。。っていうのはとても難しいんです。

立場もあります、年数もあります、年齢も経験もあります。

なかなか難しいです。

 

だから、運営側は人の適正をよーく観察して「どう?」って言ってあげないといけない立場にあるんです。(少なくとも、声を大きくして言える人が言ってあげてほしいです。例えば、入団して間もない人が、「副団長をやります!」とか「コンマスをやります!」とか言いづらいでしょ?)

 

 

人間だれしも、その場が大切でかけがえがなく、なければならない存在であればあるだけ、そこを大切にしようと思うものですよ。

 

ただ、どうかかわっていいのかわからない。自分の能力と照らし合わせて重すぎる責任は負えないと考えているだけで、貢献したいという気持ちはもっているのではないでしょうか?

 

鴨川吹奏楽団がみんなの場であり続けるためには、団員のみんながそこを大事にできるような仕組みである必要があると思いますよ。

 

確かに、適切な業務の振り分けはそれ自体に負担がかかります。最初は監督が必要でしょう、監督することは大変なことです。負担を負った人はめげることもあるでしょう。

でも、それは必要なことではないでしょうか?

 

それに、今はそういう気持ちでいる人がたくさんいるように思います。

 

私はいったん離れます。その意思は変わりません。

 

なんてね。

鴨川にいた年月を共に歩んだ団体なので、いろいろな思いがこもってしまいます。

冷静には見られません。

 

いっぱい、してもらったこともあります。

 

でも、このまま私が居座って口出しを続けたら、みんな甘えることでしょう。

 

そんな楽団になってほしくないです。

 

いずれは、自ら進化を続け、どんどん遠い存在になってほしい…と願っています。

 

田舎にある吹奏楽団の希望の形であると。自負を持てるような楽団になってほしい。

という、これは個人的な気持ちです。

 

みんなが永遠に充実した生活を送れますように。

 

鴨吹ってそういう場になれると思いませんか?