POPSにも果敢にチャレンジ!クラシック作編曲家 田丸和弥の音楽日記

鴨川在住の作編曲家が、作編曲家、演奏家、音楽愛好家さんへの便利情報を提供します。時々鴨川ネタもご紹介

【スポンサーリンク】

「この世界の片隅に」等身大の世界が見せてくれたもの

【スポンサーリンク】

昨日は体調不良を引きずってまして、家で寝たり休んだりを繰り返していたら、今目が冴えてしまいました…

 

 

さて、今日は珍しく映画の感想でも。

 

ネタバレ含みますので読みたくない方はバック推奨です。

 

実は気になっていたアニメ映画「この世界の片隅に」…

映画館で見たいなーと思いつつ、都合がつかないー(いや、付けるんだよ…)とずるずるしていた間に終わってしまっていた。

 

なので、TVで放映されて嬉しゅうございました。

 

ja.wikipedia.org

映画を見る前に読んでしまいました。

追記:これは原作の漫画の記事でございます。

 

歳なんでしょうか…僕もうこのあらすじを読んだだけで、ちょっとうるっと来てしまうんですよね。

 

Wikipediaから単行本下巻のあとがきを引用します。

「そこ(戦時中)にだって幾つも転がっていた筈の『誰か』の『生』の悲しみやきらめきを知ろうとしました」

  • 「この世界の片隅に」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年8月4日 (日) 11:15 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

 

痛ましい事件は昨今も起きていますが、なくなった一人一人にもそれぞれの日常があったんですよね。

小さな幸せも、落ち込むような悲しいことも、ドキッとするようなこわい思いも、泣きたいくらいうれしいことも…

どんな人にも与えられた、ささやかかもしれないけれども、素晴らしい気持ちや経験があったはずなんです。

戦争はたくさん奪いました。

 

僕は神様というものは信じておりませんが、それが運命だったと思うことでしか救われないこともあるのではと思います。そうでなければ、生きていけない。

 

以下、感想です。

 

戦争の話なので、たくさん人が亡くなります。でも、亡くなった人の姿(というか亡くなる前の人柄)まで丁寧に描かれています。

ほんのわずかしか描かれませんが北條夫妻が引き取る孤児の母(すずと晴美の関係に対して、すずが後悔して思い描いたようなシンメトリックな描写、すなわち、娘を左手でつなぎ、自信は右半身を負傷、その後娘は生き延び自身は死亡、がなされている)の描写を見てさえそのように思います。

原作がとても大事に扱っていたのでしょうね。(スミマセン、私は未読です)

 

映画化に際して、どうしてもはしょられてしまう部分が存在するとは思うのですが、それでも丁寧に再現しているように感じられました。

 

また、とてもよいなと思ったことの一つに、登場人物が皆、良い人であるということもあげられます。

 

戦争の極限の状態を描いた作品に出てくる人物の中には、(事情はあったにせよ)とてもきつく、中には死に繋がるようなことをしてしまう人物が描かれているものがあります。

というか、わたしが見たものの中では「そういうものしかなかった」といった方が正解かもしれません。

火垂るの墓のおばさん。映画では(私には)ひどい人に映りました。

確か、松嶋菜々子主演で、そのおばを主役に当てたテレビ番組が作られ、見た記憶もあります。おばの直面していた(であろう)状況をおば目線で描くことで、ひどい人に見えたおばにも、それはそれは退っ引きならない事情があったんだ、ということを描いていました。

しかしながら、それは免罪符が描かれたにすぎず、心が悼む作品であることに変わりはありませんでした。

 

 

NHKの連続テレビ小説でも(それがメインではないけれども)戦争の描写のあるものがありましたよね。カーネーションとか、ごちそうさんとか。

そこでは「ひどい人」というのはいなかったかもしれませんが、キャラクター的に尖って攻撃的な人物が目立っていたなと思います。

戦争の荒んだ、悲惨な場面が強調されていたように思います。

 

 

それに比して、「この世界の片隅に」においては、戦争自体の悲惨さを描きつつも、人々は優しく協力的な存在として描かれていました。

小姑の径子が登場こそ、「なんだこいつは?」と思うようなヒステリックなシーンがありましたが、それ以外においてはすこしキツい性格なのだというのがわかる程度で、却って人同士、家族同士協力して生きていることをうかがわせる描写でした。

時限爆弾によって娘を亡くした時こそ、一緒にいたすずを攻めるシーンがありましたが、それはあまりに極限の状況であり心情的に理解できるものでありました。なにより、たしなめる姑がその緩衝材の役を作っていました。径子に同調しすずを排斥しようという空気を作り出していないという点がとても重要です。

また、後には径子とすずは、和解して協力して生きていっています。米軍兵の残飯を一緒に食べるシーンも描かれています。

 

そう、戦争映画に限らず巷の作品に現れるような悪人が出てこないんですよね、この映画。すずは、嫁ぎ先でも暖かく迎えいれられるし、友達もできるんです。

それだけでなく、皆協力して前向きに生きているんですよね。

座敷わらしの描写からも読み取れます。

世界は善人であふれている。人間は協力して生きている。

という描写が、とても新鮮でした。

 

そのお陰もあってか、おっとりしたすず目線の等身大の世界が描かれておりまして、とても後味の良い、爽やかな作品でした。

描かれる人々は本当に良い人ばかりです。でも、それでいて戦争の痛ましさ、切迫感も同時に描けていました。

いや、だからこそ、より悲壮感、個としての人の無力感がよく描かれていました。

興味深い作品でもありました。

 

 

ちなみに、現実に照らし合わせるとすずのよな環境に身を置く人もいれば、火垂るの墓のような環境に身を置く人、どっちのケースもあるでしょう。

 

ちまたでは、悪い話ばかり聞かれるような印象がありますが、運がいいのか人柄なのか、すずの用な環境に身を置く人というのも中にはいるのではないでしょうか?

(同じことをされても、受け取り方はそれぞれですしね)

 

 

ちなみに、ここまで書くと、「あれ敵役がいなくない?」と思われるかもしれませんが、圧倒的な敵役は戦争そのものが、それとして描かれています

生命、生活を脅かす存在、人を超越した存在として描かれる戦争。戦争自体は人間が引き起こすものですが、一個人としての感じ方はこういう描き方のほうが合っているように思いました。

だからこそ、引き起こしてはならないというメッセージをも持っていると思います。

引き起こすことは人の手でできますが、引き起こされた先は、どんどん肥大化し、止められない、西洋のドラゴンのようなものに変貌してしまいます。

 

 

 

もう一点、アニメーションによる適度なデフォルメが素敵だなと思いました。リアルに描くことが一番伝わるのか?といわれれば、そうとは限らないと思います。人間誰しもその人自信の経験や考え方、感覚の鋭さなどで受け取りかたが変わります。

リアルに描いたら、本当に伝えたかった事よりも、その現象の方が強く印象に残ってしまうかもしれませんよね。

アニメーションはそういう意味では(実物の人間やら景色やらを使わないという意味においては)完全にフィクションなので、調整ができて良いなと思いました。

作品を通しての色使いがそもそも優しい印象で、これが最初の爽やかな印象にも伝わったようにも思います。

 

一点、旦那さんの周作と遊女(?)の関係を匂わせるという描写がなかったのがちょと残念かなぁ。そこは入れてほしかったかも。

恋愛関係の機微というのも物語のハイライトの一つですよね。

 

 

と、夜中に書きなぐってしまいました。

 

 

ちなみに、いちばんほっこり、好きなシーンはお互いの嫉妬からの夫婦喧嘩です。内容によりますけど、ごくたまにある痴話喧嘩はほほえましいなと思います。はじめてすずが夫に、その一面を見せるシーンでもありましたし、喧嘩して離れておるこうとするすずを夫が引き寄せてるのも良かったなと思いました。

 

遊女のシーンこそありませんでしたが、このシーンが描かれたことで、恋愛面での一応のハイライトは作られたのかなとも思います。 

 

 

では、駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

この世界の片隅に

この世界の片隅に