ブラームス作曲の「ホルン三重奏曲」、こちら、ホルンを含む室内楽曲のレパートリーとしては非常に重要なポジションにある楽曲で、ブラームスの交響曲などと比べるとやや認知は落ちますが、ブラームスが交響曲第1番を書く以前の成熟した室内楽作品の一つであり、後年の交響曲にも通じる構成感を感じさせる作品です。
というこの名曲なのですが、実は10年くらい前に演奏する機会に恵まれたのですが、とても苦労した楽曲でありました。
同時にとても楽しかったことも付け加えておきます。
今回は、この楽曲の「ピアノの難易度」に着目して記事を書いてみようかと思います。
ブラームス《ホルン三重奏曲》ピアノパートの難しさを演奏経験から考える
基本情報
今回はさらっと行きます。
- 1865年作曲
- 編成(ホルン、ヴァイオリン、ピアノ)
- 第1楽章〜第4楽章構成
- ブラームスのホルンへの思い(この曲は母親の死の年に書かれた作品としても知られる)
各楽章のピアノの個人的難しいポイント
さて、冒頭で述べました通り、過去に演奏したことがございますので、その時のことを思い出して書いてみようと思います。
ショパンやリストの楽曲も大変難しいものがたくさんありますが、それとはやや異なった難しいポイントがあるように感じています。
そこらへん触れられるといいなと思っております。
第1楽章:各楽器との関係性、リズム、曲の流れ
ゆっくりな楽章であるために、それ特有の難しさがありますが、何と言っても最初の難関はリズムの読譜と拍を誤認しないように体に染み込ませ心を強くもたせることだと思います。
たとえば、この部分(譜例を準備する予定)
右手は2で割り切れる音符、左手が3で割り切れる音符、いわゆる2拍3連だから難しい。
じゃないんです。
みそは、どちらにも1拍目の頭が休符であるということです。
2と3の最小公倍数は6なので、実際そこまで複雑なリズムではないのです。
4分音符一つ分の1拍を6つで分けるとすると、八分音符は1と4のところで発音、八分音符の3連符は135で発音。ということは、両者を組み合わせると1345で発音、1拍目を除くと345と、数学的に考えると対して難しくないのですが…
どうも1が無音というのが非常に難しくしているように感じます。
(ここ図が必要かも)
こういうのを見ると、休符が休みではないということがよく分かるかなと思います。
あえてクラシックではあまり使わない言葉で言うなら、「グルーブを出すための間、ため」ですね。
第2楽章:勘弁してくれ、速いテンポでの両手のオクターブ連打
この楽章もいきなり頭から難しいです。というのも、主題を両手のオクターブで演奏するのが、なんともはや。。。
4分の3拍子で書かれていますが、テンポが速いので小節があっという間に飛んでいきます。
難しそうに見えない四分音符の連打が高速なのです。
この楽章については、手の開きに始まる技巧的な難しさが目立つかなと思います。
ただ、曲想的に簡単かと言われると沿うとも言えなくて、トリオを挟んで主部が戻ってくるところ。工夫がないとここが飽きてしまう演奏になりがちです。
今、録音を聴き直してみても、ちょっとしつこいな…と思うのは多分表現が足りてないということなのかなと思います。
ブラームスがこの規模で第2楽章を書いたことには、もちろん当時の美意識や作品全体の構成上の意味があったと思います。一方で、現代の聴取環境では、この長さを自然に受け止めてもらうことは以前より容易ではないのかもしれません。
だからこそ、演奏者には「長く感じさせない」ための構成感や推進力、音色や表情の変化を示すことが求められます。そこまで到達できれば、この楽章の魅力は十分に伝わるのでしょうが、その境地に至るまでが非常に難しいと感じました。
ただ、2026年の現代人にとってはそもそも楽曲が長い可能性ももちろんありますがね。。。
第3楽章:読譜、曲想、音符の説得力
次の第4楽章と対になるような難しさがあるかなと思います。
また、ゆっくりな楽章ということで第1楽章に通づる部分があるかと思いますが、第1楽章のほうがテンポの抑揚がより大きい印象で、こちらのほうが更にシビアになると思います。
まず、テンポは非常にゆったりですが、その分音価の短い細かい音符がたくさん出てきまして、リズム他の楽器との絡みを理解するのが最初の難関。
それが終わった後は、ゆっくりな曲あるあるなのですが、最初から最後まで一貫させて聞かせうるように楽曲の構成を再現すること。
これはとにかく難しく、過去の演奏も十分とは全く言えませんでした。
速いから雑にやっていいということではないのですが、ゆっくりな分、単音の説得力、つながり、音の方向性など、丸裸になって伝わってしまいます。
これがとにかく難しい。
玄人っぽい難易度かなと思います。
第4楽章:判断、重心移動など、がとにかく目まぐるしい
この楽章で特に感じるのは、ピアノの役割が非常に短いスパンで切り替わることです。
旋律を担っていると思った直後に、別の楽器へ主導権が移り、今度はピアノが低音や和声を支える側に回ります。
例えばこの部分
(譜面の例を出す)
両手で高音部分をキラキラ軽やかに弾いていたかと思えば、直後にズシンとpesanteっぽく、しかも重厚なベースの打撃に転換見たな点です。
弾き方も両者で違いますし、重心も楽器の真逆に持ってこないといけません。
もしかしたら、低音に写ったときに、重たくするのも含めてやや間が出てきてもいいの「かも」しれませんが、そうすると今度はヴァイオリン、ホルン奏者と調整が必要でより連携しなければならなくなるという別の難しさも浮上してきます。
ショパンなどは除き、ロマン派のピアノ曲の一部にはオーケストラでの表現に近いものを求めたような書法が見られると感じていますが、ブラームスに関してはその傾向がより強いのかもしれません。
いわんや、これはソロではなくてアンサンブルなので、その傾向はより一層高まったのでしょう。
ただ、その分、ソロピアノとは違う難しさや、アンサンブルのピアノの楽しさというのも味わえる楽曲なのかもしれません。
曲想については、イケイケでするする進んでいけば割とそれっぽく聞こえる可能性はありそうです。
室内楽ならでは(?)のピアノの難しさ。
この曲、以前に弾いたことがあります。特に第四楽章が大好きで取り組んでみたい曲だったのですが、非常に難曲でした。
私は、音の跳躍(音域の跳躍)の多い楽曲は難しいと感じてしまうのですが、この曲はただでさえ難しい跳躍を更に難しくする要素がある楽曲だったなと言うのが後から振り返っての印象です。
理由としては、ソロではなく室内楽のピアノだから、またブラームスの書法によるところが大きいと思います。
ソロと室内楽の大きな違いの一つとして、全部自分でやるか、否かというのがあると思いますが、これ、全部自分やるほうが難しいとは限らないのがみそだと思っています。
※ちなみに、ここで言う難しさというのはアンサンブルとしての部分を除いた個人の技術的な面においてすら難しいという点です。
では、なぜこのような難しさが生まれるのか。
その理由の一つが、室内楽特有の「役割の交代」だと思います。
単純化して、楽曲を構成する要素が、「旋律」「ベース」「和声etc」だったとしてソロの場合は、常に全部をやるということは変わらない。
これは、一度に担う役割は多いとはいえ一貫しているとも言えると思います。
かたや、室内楽の方は、この役割がパツンと入れ替わることがあります。
徐々に侵食するように変わることもないことはないでしょうが、びっくりするくらい一瞬で切り替わることがあります。
これによって何が起こるかというと、全身で高音域の旋律を弾いた直後に、低音域でベース(兼和声)を担当することがあるということなのです。
例えば、ホルンがベース、バイオリンが内声または、その逆をやっているところに、声域の被らない高音域で旋律を弾いていたかと思ったら、その直後に、ホルンとバイオリンに旋律が移り、重厚なベースを弾かされるなんてことがおきるということです。
私は、そもそもブラームスの書法は和音が重厚で手の開きが要求されるやら、そもそも跳躍が多いやらで、結構苦手で難しいと思っている上にこの事象が起きると音をきっちり当てるというのが難しいし、腕の移動によってタイミングがハマらないなんて事も起きて、苦慮したものでした。
特にベースなんて音が外れると音楽の雰囲気をかなり破壊してしまいますから…
終わりに、ホルン三重奏との出会いは…
もともと、シューベルトの「ます」を聞いてみたくて買ったものでしたが、むしろブラームスの方により興味を抱く結果となりました。
