クラシック作編曲家 田丸和弥の実践・実体験・実験・音楽日記

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作品の鑑賞法の一例(作者兼解説者の視点)〜答えを求めてしまう方へ〜

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“この曲、何を言ってるの?”と思ったことはありませんか?

 

正解がある気がしてしまう

自分の解釈に自信が持てない

 

また、こんな経験をしたことはありませんか?

 

同じ曲でも、失恋直後に聴くのと数年後に聴くのとで意味が変わる

“ありがとう”が感謝にも別れにも聞こえる

 

 

そんな時は自分と対話するいい機会かもしれません。

 

鑑賞とは、作品から意味を「受け取る行為」ではなく、「意味を立ち上げる行為」だ。
つまり、作品の意味は最初からそこに“ある”のではなく、あなたの中で“生まれる”。

 

そう、作品は完成しているが、意味は完成していないのです。

 

 

先日アップした動画。

この記事参照

www.petit-orchestra.jp

 

AIさんの力を借りて、英語の字幕を作ってみました。

 

この英語詩を作るというプロセスを経て、作品を鑑賞するとは「意味を受け取ること」ではなく「意味を生成すること」なのでは?というヒントのようなものが見つかりましたので、それを記事にしてみようと思います。

 

この記事は、作品には興味があるのだけれども…

  • 何を言っているのかわからない
  • 答えを求めてしまう

という方向けへのメッセージを含めたものになっていると思います。

 

なお、今回自作をチョイスさせていただいたのにはきっちりと意義があります。
「作品がすごいから」ということではなく、作品の作者が解釈の(あくまで)一例を提示しているという点です。

作者の声が気になるという人が作品を自分のものにし、そして、楽しめる一助になればと思います。

 

作品の鑑賞法の一例(作者兼解説者の視点)〜答えを求めてしまう方へ〜

 

 

1作品提示:まず、鑑賞にチャレンジ

さて、ではいきなり解説に入る前に、実際に作品に触れてみるフェーズを作ってみます。

「しゃらくさい!」という方は、読み飛ばすか、目次から次のセクションへ行ってみてください。

 

動画2種類

2026年5月9日追記。

歌詞だけ提示しても歌がないと意味がないなと思いなおしまして、貼り付けます。

 

オリジナル(男性ボーカル+2声のコーラス+ピアノ)

www.youtube.com

 

6声の男声アンサンブル

www.youtube.com


日本語詩(原詩)

歌詞ではありますが、まずは鑑賞の対象として、原詩を提示いたします。

 

「思い出の写真」

小さかった命抱き、小さかった手を取り
歌い聞かせてくれた道
白い息吐き、夕暮れ時を、つれられたのはいつか
遠く懐かしい真っ白な日の思い出

嬉しい時も、辛い時も
いつもと変わらずに、
ただそばで、見てくれていた
今思い出してみれば、穏やかな空間

あふれ出るあなたの喜びの顔は
生きる勇気を与えるでしょう
分かれた枝が太くなり
やがて幹となる力を与えるでしょう

喜びも苦しみも乗り越えて、ただ生きた
歩み続けていれば、道はできる
先が細くなろうとも、歩みが遅くなろうとも
進めるだけ先へ、ゆっくりと進んだ。

いらだち怒り、嘆き悲しみ、
傷つけたこともあった
それもこれも昔の話
今思い出してみれば、苦く甘い一枚(思い出)

写真の中でほほえむあなた
その時何を思ったでしょう
今知ることはかなわないけれど
それは私を強くするでしょう

ちっぽけな枝、たよりない幹、
か弱いことに気づきもせず、
しなやかに、ひたむきに、ただただ生きた。
平凡な日々と、人は思う、かもしれないけれど、
新しい輝きを秘めた命を生み出した
これぞ、わが人生

あふれ出るあなたの喜びの顔は
生きる勇気を与えるでしょう
まいた種は花開き実を結び
あなたを世界へ羽ばたかせるでしょう

いつまでも、忘れずに、そっと覚えています。
ありがとう。
さようなら。

 

英語詩

続きまして、英語の詩です。こちらは、日本語の原詩を元にしつつ、自分が創作した原体験に基づいて再構築したものです。

"Portraits of You"

You held my small and fragile life
and held my little hand in yours.
You sang to me as we walked—
I can still hear it, even now.

White breath fading in the dusk,
you walked me home through quiet streets.
Somewhere far and long ago,
in days that felt like snow.

Through my joy and through my pain,
you were always just the same,
watching over me.
Looking back now, what you gave me
has become a quiet, peaceful place.

Your overflowing, joyful smile in that photograph
still gives me the strength to carry on.
Quietly there,
a branch once split away from you
has grown into a stronger trunk.

Through joy and through suffering, you simply lived.
You kept walking, and a path was always made.
Even when the road grew narrow
and your steps grew slow,
you moved forward, gently, as far as you could.

There were days of anger and frustration,
days of sorrow, times you caused pain.
But now that you are gone, it all belongs to the past,
and when I look back, it feels bittersweet and warm.

In that photograph, you’re smiling—
what was on your mind back then?
I can’t know it now,
but somehow,
it makes me stronger.

A small, fragile branch, an unsteady trunk,
not even knowing how fragile you were,
you lived on with quiet strength and grace.

What others may have called an ordinary life—
but it was quietly bringing forth a hidden light,
a life that, without a word, declared:
"This was my life."

Your overflowing, joyful smile
still gives me the strength to live on.
What you planted has now bloomed and borne fruit,
and lets you live on in this world.

I will never forget you.
Thank you—for everything.
Goodbye, for now.

 

英語詩の日本語翻訳(AIさんありがとう)

この節は補助的なものです。

こちらは、英語詩を再度日本語に翻訳したものです。

この状態でも十分に詩の体をなしていますが、原詩よりは情報が補足されてわかりやすくなっているのではないかと思います。

あなたは、私の小さくか弱い命を抱き
その手で、私の小さな手を包んでくれた。
歩きながら、あなたは私に歌ってくれた——
今でも、その歌が聞こえる気がする。

夕暮れに消えていく白い吐息の中、
あなたは静かな街を通って、私を家まで送ってくれた。
はるか遠く、ずっと昔のこと。
まるで雪のように感じられた日々の中で。

喜びの中でも、痛みの中でも、
あなたは変わることなくそこにいて、
私を見守っていた。
今振り返れば、あなたがくれたものは
静かで、穏やかな場所になっている。

写真の中の、あふれるようなあなたの笑顔は
今も私に、生きていく力を与えてくれる。
静かにそこに——
あなたから離れた小さな枝は
やがて、より強い幹へと育っていった。

喜びも苦しみも超えて、あなたはただ生きていた。
歩き続けることで、いつも道は生まれていた。
道が細くなっても、
歩みが遅くなっても、
あなたは、できる限りやさしく前へ進んでいた。

怒りや苛立ちの日もあった。
悲しみの日も、傷つけてしまった時もあった。
けれど、あなたがもういない今、それらはすべて過去のものとなり、
振り返ると、それは苦くもあり、温かくもある記憶となっている。

写真の中で、あなたは微笑んでいる——
あのとき、何を思っていたのだろう。
今となっては知ることはできない。
それでも、なぜかそれは私を強くする。

小さくか弱い枝、不安定な幹。
自分がどれほど脆い存在だったのかさえ気づかずに、
あなたは静かな強さとしなやかさで、生き続けていた。

それは他人から見れば、ただの平凡な人生だったのかもしれない。
けれどその人生は、静かに見えない光を生み出していた。
言葉にされることなく、ただ確かに示していた——
「これが、私の人生だった」と。

あふれるようなあなたの笑顔は
今もなお、私に生きる力を与え続けている。
あなたが蒔いたものは、いま花開き、実を結び、
この世界の中で、あなたを生かし続けている。

私は、あなたを決して忘れない。
ありがとう——すべてに。
さようなら。またいつか。

 

どう解釈できましたか?

これでもまた、ぼんやりとしか受け止められない。という方もいらっしゃるかと思いますが、このぼんやりと、もやもやと、という状態を受容し、それをバネにして考察するというのが第一関門かもしれません。

さて、今回は、その状態はひとまず置いておいて、解釈の助けになるかもしれない、補足事項を少しずつ書いていこうと思います。

ちなみに、「ぼんやりしてしまうこと」それは今は必要なことなのかもしれませんね。

その状態が悪いというわけではありませんので!


英語詩は実は日本語詩の解釈の一例にもなっている

英語詩を日本語詩にしたものが、原詩に比べて補足が多いという点はすでに明白かと思います。

たとえば、情景しか書かれていなかった原詩に対して、誰が何をしてくれたという情報が補足されています。

これは、単に「わかりやすくした翻訳」ということではありません。

これは“正解に近い翻訳”ではなく、
私という一人の人間による読みの結果です。

つまり——

 

翻訳とは、意味を減らす行為ではありません。
むしろ、解釈を一つ追加する行為です。

 

言語を変えることは、意味を削ることではなく、
「別の意味を立ち上げること」なのです。

 

これすなわち作品を「解釈する」という行為ではないでしょうか。

 

2.作品の説明:創作の背景を種明かし

さて、ここで視点を変えて、私がこの歌詞をどのように作ったのかという点を書いてみようと思います。

原体験としては英語詩が近い

タイトルのとおりですが、原体験としては英語詩が近いものです。

近いとはいえ、本当はもっと具体的にイメージできる事柄があり、それに起因する非常に主観的なものを元に作ってはおります。

ただ、どんな感情の起伏があったのか?という点やその原因については、日本語詩(原詩)よりある程度推察しやすい状態になっていると思います。

 

英語詩がこのようになったのは、これは「英語というのは誰が何をしたという点については、ある程度きっちり書かないと伝わりにくい」「日本語の単語から得られる情感が英語の世界観と一致しないのでは?」という私の考えをもとにしたためです。

この歌に登場人物が最低2名いることはおおよそ見当がつくと思いますが、たとえば、この節。

いらだち怒り、嘆き悲しみ、
傷つけたこともあった
それもこれも昔の話
今思い出してみれば、苦く甘い一枚(思い出)

これどちらの感情や行動だと思いますか?

※ここは視点がやや曖昧であると思っておりますが、その是非は一旦置いておきます。

  • A:語り手が傷つけた
  • B:「あなた」が傷つけた
  • C:両方

 

少し前後を振り返って考えてみてください。

 

 

 

いかがでしょう?

 

ちなみに、正解があるわけではありませんが…

 

 

「どっちとも取れる」そう感じたのではないでしょうか?

 

 

ただ、私がイメージする英語でこれをしてしまうと、何を言っているのかわかりにくいあまり良くない状態だとと考えています。

 

こういった観点から、詳しく説明している英語のほうが原体験に近いと感じています。

※ただし、それが鑑賞者にとっての“正解”になるわけではないということは合わせて申し添え致します。

 

しかし、原詩(元作品)は日本語

原体験に近いのは英語詩の方だと描きましたが、作品の始祖は日本語詩(原詩)の方なのです。

これにはいろんな理由があります。

歌詞であること(リズムや音数、旋律との兼ね合いですべて書くことはできない)といった理由もありますし、書きすぎてただの説明文になってしまったらそれはもはや鑑賞の対象ではなく、鑑賞の対象にすらなり損なってしまう。感情を表す言葉が受け手にその感情を呼び起こすわけではない、といった理由からです。

 

動機と結果が違って見える

ここまで見ると、語りたいこと(動機)とその表現(アウトプット)の粒度や抽象度が違うということがわかるのではないでしょうか?

 

抽象的なことを書くためにの思考や経験が抽象的なわけではないのです。

 

どちらかというと今回については、具体的な出来事から、大切なもののエッセンスを見定め、その感覚を呼び起こさせるために必要なものを残したら、この日本語詩になったということなのです。

 

逆にいうと、抽象的な作品から自分にとっての具体的なことを想起してもよい。ということも言えるのではないでしょうか。

これは、作者の作品の作り方の一例
必ず同じ作り方をするわけでもないし、作者によっても異なる。


これが今回提唱する鑑賞のヒントになると感じています。

 

3.実践に向けて:鑑賞とは

「意味を受け取ること」ではなく「意味を生成すること」

前の章で「英語詩は日本語詩(原詩)の解釈の一例にもなっている」と申し上げました。

ただ、こう思った方もいるのではないでしょうか?「結局誰の何を描いているのかがわからない…」

そうです、この英語詩の状態でもご覧になっているあなたに具体的に起きた出来事からは程遠いからです。

 

では、この状態でどうするのか?

 

それは、「自分の記憶・経験・人物像を“仮に投影して読む」ということです。

 

例えば、

  • 「これは“亡くなった肉親”として読んでもいいし、“昔の自分”として読んでもいい」
  • 「あるいは“未来の自分から過去の自分を見る視点”でも成立する」

というようなイメージです。

 

要は、自分が納得できるまでその作業をすればよいということです。

繰り返しになりますが、作品が発するメッセージに対峙しつつ、ただ、作品に意味付けをする、意味を見出すのは「あなた自身」なのです。

これは、鑑賞というものは、こういう形を取ることが多いように思うという一例で、このやり方が正解なわけではありません。

 

解釈は受け取った時に応じて変わっていい

解釈や感想というのは、人によるという点はすでに触れましたが、「人それぞれに」という意味のみならず「受け取ったタイミング」でも変わりうるという点も踏まえておくのがいいと思います。

 

人間は時間とともに経験を積み続けています。精神の状態も変わります。

同じものを鑑賞したとしても同じように受け止めるとは限らないのです。

 

このようなエッセイを書いておきながら、筆者もまだ試行錯誤の途中です。

 

「わからない」状態は贅沢かも

この納得するという作業を持ってしても「わからない」という状態になることもあるでしょう。

ただ、「わからない」という状態もまた贅沢なものです。

わかってしまったら(わかった気になってしまったら)戻ることができない状態なのですから。

 

「わからない」は“入口”であってけっして“失敗”ではありません。

 

「わからない」ということも状態として面白いを楽しめるようになるといいかもしれませんね。

 

大切なのは楽しめるかどうか

ここまで、ハードルを上げるようなことを書いてしまいましたが、最後に一番大事なのはそれを「楽しめるのか」ということなのではないかと思っています。

 

仮に、解釈ができなかったとしても悲観する必要はありません。

なんとなく好きだなでよいと思います。

 

わかったときも、わかった気になったときも、わからなかったときも、自分の内面と対峙してその状態を楽しいと思えたら、きっとそれは素晴らしい時間になっていることでしょう。

 

補足:作品とは現在化する余地のある過去である

もう一点、鑑賞者が貴重であることとして触れておきたい持論があります。

作品とは、あくまでも過去のものだと感じています。産み落とされた時点で完成し、変わることがありません。

もちろん変わっていく作品もありますが、それはまだ定まっているものではなく、今回ターゲットとしている作品とは別のものであると思ってください。

 

作品が過去に生み出されたときから姿形を変えることができなかったとしても、それを現在化の生ある状態に戻すことができます。

 

鑑賞者は作品に生を吹き込む重要なピースの一つです。

 

終わりに

鑑賞をするというのは、本当に贅沢なことだと思います。

この贅沢な行為を最大限楽しんでいきたいものですね。

 

しかし、そんな最中に“この曲、何を言ってるの?”と思ったとき、
 それは正解を探す問いではなく自分の中に意味を生み出す入口なのかもしれません。

 

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