クラシック作編曲家 田丸和弥の実践・実体験・実験・音楽日記

千葉県鴨川市出身の作編曲家が自身の吹奏楽やオーケストラでの経験と考察、検証をもとにかゆいところに手が届く記事を提供いたします。作編曲家、演奏家、音楽愛好家さん向けですがコラム記事も!サイトでは一部記事でアフィリエイトプログラム、およびAmazonアソシエイトを利用して商品を紹介しています。また、Google Adsenseを用いた広告収入を得ています。

【スポンサーリンク】

人間関係のコストを削減した先にあるもの

【スポンサーリンク】

最近chatGPT相手に思考を整理するのにはまっています。
単純に面白いのです。

chatGPTによれば「散歩中に独り言を言う人や、哲学書に書き込みをする人と同じようなもの」とのことですが、実際には少し違います。
要は「AIを使うことで多面的な視点を即座に得られる」という点に魅力を感じています。

この思考を整理するという行動、自分ひとりでやる場合は、正しさの評価や検証をも自分でやらなければなりません。
ただ、AIを使うと人には負担の大きい評価検証を代行してくれます。
経験に裏付けされたものではありませんが、chatGPTは膨大なデータの海を適切に回遊してもっともらしい回答をしてくれます。
これによって、スピーディーな答え合わせができるようになります。
また、回答を得られることで派生質問やより深い質問につなげることも可能になり、思考の深度をも変更させた整理につながっております。

本当に重宝しています。

さて、なんでこんな前置きをしたのか?と言いますと、今回のブログテーマはこのchatGPTとのやり取りで思い浮かんできたものだったからです。

もともとは、「AIは人間の代替になるのか否か?」というやり取りでした。

一旦でた仮説としては「AIの代替とされてしまう人間はいるだろうが、本当の人間らしさに基づく価値をAIは代替することはできない」ということになりました。

さて、この派生テーマとしてでてきたのが「人間関係を希薄にするというコストをカットすると短期的には気楽に生きられるかもしれないが、長期的には深刻な状態に陥る可能性があるのでは?」です。


これは、昨今の「人間関係は煩わしい、個人主義が一番」という主張に対する反証としてのものです。
なお、これは個人主義を否定したくて書いているものでは決してありません。
個人主義を貫き通す場合であっても、人間関係のコストというのは、思ってもみなかった形でかかってくることがあり、それを受け止めきれない場合悪影響があるかもしれない。
だから、人がやっている外側だけ見てマネせずに、自分のこととして落とし込みませんか?
そういう話です。

※ちなみに、私は研究者でも専門家でもありません。ただAIとのやり取りをしていて思い浮かんだのを記録として残してみようと思い立ちました。
これは、あくまで一個人の仮説であって、一般的なもの研究されたものではありません。
あくまでもそういう考え方もあるんだねぇ。くらいのつもりで興味があれば読んでいただければと思っています。

 

 

人間関係のコストを削減した先にあるもの


人間関係のコストがその人に及ぼす可能性のある影響について

まずは、この点について触れてみようと思います。今回は命題が命題なので、主に良い方向に作用するであろうという点を羅列してみたいと思います。

1.人間関係で発生するコストが人間を育てる可能性に関する仮説

これは、わかりやすい「人とのつながりがセーフティネットになる」とは違った観点ですが、AIの話の続きとして最初に提示しようと思います。

ここで、人間関係のコストがもたらす効果を整理してみましょう:

  • 他者の言動は、自分の思考や認識に影響を与える。
  • 嫌な経験も、受け止め方によっては価値となり、独自性や判断力を高める。
  • AIにはこのような経験がなく、人間だけが得られる価値である(らしい)

以上のように、人間関係は単なる負担ではなく、経験や価値の形成に寄与する可能性があります。

 

人間には、他者の言動を受けて自分の言動や認識を改めるという特性が備わっており、それは思想にすら影響があるのでは_という仮説です。

例えば、嫌なことを言われた場合、それを受けて直しても効果はあるでしょうが、それを受けてなお自分は正しいと変えない場合であっても効果があると思っています。

そういう、他者からの影響が経験や思想に影響を及ぼし、その人の血肉になっていくものと考えます。

そういったものが多ければ多いほどその人個人に由来する独自性は増していき、人間としての価値を高めるのでは?という仮説です。

3.で触れますが、現代においてAIになり変わられない人間の価値というのは、経験等に基づく主観的でしかしまた合理的な言動であると考えています。
こういった、研鑽を積むために人間関係のコストは非常に役に立つと感じています。
※嫌な経験をしろと言いたいわけではありませんので、その点はあらかじめご認識ください。
※ちなみに、いいものであっても(嫌なものでなくても)影響は受けるでしょう。


2.成功者は、わかりやすいコストカットを提示するが、その分見えにくい別の形で負っているのではないか?という仮説

人間関係のコストを削減すると、短期的には気楽に生きられるかもしれません。しかし、長期的には思わぬ影響が出る可能性があります。
これは、昨今よく聞く「人間関係は煩わしい、個人主義が一番」という考えに対する一つの反証です。

本文が長いので先に要約を記します。

  • メディアで「人間関係は無駄」と言う人も、別の形で大きなコストを負っている。
  • 視聴者、依頼者、評価される目線など、目に見えない負担が存在する。
  • だから、安易に真似するのは危険。自分の状況と比較して考えるべき。

これに沿って読み進めていただければと思います。

 

例えば、メディアで発信しているような方が「そんな人間関係は無駄だからやめた方がいい」とおっしゃることがあると思います。
これはわかりやすい人間関係の「コストカット」の提言でしょう。

では、このコストカットはただちに実行した方がよいのでしょうか?と問われると、そうとは限らない、一旦立ち止まって考える必要があると、私は思っています。
なぜかというと、成功者は本人がおっしゃったコスト「以外のコストを引き受けているから」です。

有名人であるということは、多くの人の目にさらされているということになりますが。それは非常に大きな人間関係のコストであると思います。

メディア出演の依頼者はもちろんですが、それ以外にも「視聴者」という人間関係のコストも支払っていると見た方がよいと思います。

これは、例えば自分ひとりでやっているyoutube等であっても同様に発生することです。

 

要は、この目に見えづらいコストがあることを考慮せずに安易にまねをするのは危険だ、というのが仮説です。

極端な例かもしれませんが、メディアでしゃべると反感を買うこともあります。質問を投げかけられることもあります。場合によっては直接的ではなかったとしても対話をしなければならないこともあります。
これは非常に大きな人間関係のコストと呼べるのではないでしょうか。

 

いいものも悪いものも含め多くの人から視線を受けている=人間関係が非常に濃厚である、ととらえられないでしょうか?

 

これを踏まえ、その著名人が主張したコストカットをするかどうかは、自分が負ってコストと比較してから決めるのが良いのではないだろうか。と思っています。
少なくとも、その著名人が言っているからという理由だけでは決断しない方がよいでしょう。
 

3.1.がAI時代における人間の価値を高めうる可能性について

AIは物事をぶれずに処理できますが、「嫌だったから変える」「嬉しかったから続ける」といった人間的な判断はできないようです。
逆に、人間はその属人的な経験を武器に変え、思想や価値を形成することができます。
つまり、AIは神のように正確かもしれませんが、人間にはなれません。

 

人間は「嫌なこと」から強烈に学ぶ生き物であるらしい(生き物全般が生存のために
そうプログラムされているらしい)です。そういう意味においても、嫌な経験というのは長期的に見ると付加価値をもたらす可能性があるのではないでしょうか?
嫌な経験は非常に属人的なもので、人間としての主観や思想に影響をし、人間としての価値を高めうると考えています。

これはAIと人間を分かつ大きな点であると考えています。(AIには嫌な経験というものがないらしい)

物事をただ物事としてとらえるのみで「嫌だったから、よかったから」という理由で判断が変わるということはなく、ぶれない(AIがもつ最も強力な側面でもあるでしょう)とのこと。

回答が変わるとしたらその真理が変わった時なのでしょう。
 
これに対して、人間はAIに持たせたらノイズにしかならないであろう物を武器に変えうると考えており、これがAIに対するインセンティブであろうと考えています。

 

※AIについては進化していく過程でこのようなものが搭載される可能性もあるのかもしれません。ただし、本質的にAIというものに対してはノイズでしかないと推察しています。


4.長期視点のリスクに対する対策として

これはもっとわかりやすいものです。
仕事、健康、緊急時のサポート、情報、人脈の網などです。
例えば、結婚、親戚づきあい、家族を作るなどというものも、もっとわかりやすく当てはまると思います。
また、会社での同僚、上司部下等、その人間関係自体もセーフティーネットになりうると思います。
 
もう一つ少し変わった視点では、その人間関係で発生した嫌な仕事や嫌な依頼も効果を発揮することがあるかもしれないということです。
例えば、その依頼で、残業が発生したり、疲弊することがあるかもしれませんが、スキルが磨かれたり、人に覚えてもらえたり、人を頼れるようになったり、と、長期リスクを下げる効果が派生することもあると思います。
これは、将来の保険ににつながるいうことです。
このように、煩わしいと思われる人間関係も、情報・機会・助けを生む可能性があります。
 
ただ、「残業をする」「高負荷の仕事をする」というのは時代遅れでけしからんという声があるかと思います。
また、そんなことしてないけど順調だよという方もたくさんいらっしゃると思います。
それは、その通りだと思います。
 
しかし、あえてこれを言ったのには理由がありまして...ここで間違ってはいけないのが、「そんなことしていないけど順調だよ」の実践者は別のコストを払っている可能性があるという点です。

残業なんてする必要がない、定時で上がればいい。その主張をする人は、自分で営業をかける、会社以外のところで関係を作って独立する。などのコストを払っているかもしれませんし、就職活動でたくさんの人に会ってきていい環境を選別した可能性もあるかもしれません。
 
これは、2.同様「その人の背景を考慮せずにただ真似をするのは危険なのではないか?」ということです。


下手をすると、後者の方が人間関係のコストとしては重たいと感じる人もいるかもしれませんね。


5.個人主義との関係

人間は自給自足でもしない限り、結局は「別の人へ何か付加価値を提供することで生きる糧を得ている」。
これは真であると思います。
個人で生きていくにあたっても最低限、他者とかかわるコストは避けられないでしょう。
結局、人から必要とされることが仕事になる。と私は考えています。
 
この側面から考えると、短期的には面倒で煩わしいと感じる人間関係の積み上げがセーフティネットになる可能性も否定すべきではないと感じます。

だって、わかりやすく誰かの役に立っているわけですから。

また、田舎の共同体の意識なども、現代の思想には合致しないのかもしれませんが、ただ悪い点のみが着目されて否定されるべきものでもないと考えています。
実際にあるいい点として、近所の目は防犯に明らかに役立ちます。また、頻繁に見かけられるというのはプレッシャーにもなりますが、目が行き届いているともいえます。老人や子供を見守ってくれるとか。。。ね。


人間関係のコストは無条件で削除するべきではない

人間関係のコストは、無条件に削除すべきではありません。
コストは将来の収益や価値に対する投資です。
「今嫌だから避ける」のではなく、自分の信念に基づき、意味のある形でかけることが大切です。

 

これが、今回の趣旨です。

 

そもそもコストというのは将来の収益に対してかかる必要なものという認識です。なので、かけ方が正しければ回収ができるという点は押さえておいた方がよいと思います。

 

繰り返しになりますが、これは決して個人主義を否定するものではないし、理不尽だなと感じるような集まりや無駄だなと感じる会合に出るべきだといっているわけでもないのです。
そのコストのかけ方が嫌だったら別にかけられるところを作る。そういうのはありかもしれませんね。
自分の信念に基づいてよく練って決めたものならば、いい方向に連れて行ってくれるかもしれません。

 

なお、人間関係のコストとは言ってみたものの、それが「嫌なもの」であるとは限らないということも最後に付け加えておこうと思います。

ただ、楽しいからいろんな人と会っていた。これは確かに自分の時間やお金などのコストをかけていることに変わりはありませんが、嫌なものの対極にありますよね。

「なんだよあいつは楽しんでるのに人間関係の構築もできているなんて…」と思われるかもしれませんが、でも多分自分に合っている場所はあると思いますし、明確に危険なにおいがするならばまだしも、なんとなく根拠なく面倒くさいくらいだったら試しに出てみてもいいのかもしれません。


新たな一面が見つかることもありますよ。


時代に逆行しているようですが、懇親会や雑談は、コストが小さい割に得られるものが大きいかもしれません。コスパのいい人間関係、と言えるでしょう。


※責任は持ちませんので、ご自身の直感に従って選択してください(笑)