クラシック作編曲家 田丸和弥の実践・実体験・実験・音楽日記

千葉県鴨川市出身の作編曲家が自身の吹奏楽やオーケストラでの経験と考察、検証をもとにかゆいところに手が届く記事を提供いたします。作編曲家、演奏家、音楽愛好家さん向けですがコラム記事も!サイトでは一部記事でアフィリエイトプログラム、およびAmazonアソシエイトを利用して商品を紹介しています。また、Google Adsenseを用いた広告収入を得ています。

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酒気帯びでの徒然なる振り返り文~作曲家「田丸和弥」として~

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ごく最近、自作についてのある可能性(その信ぴょう性は本当に定かではないのですが…)が浮上し、心の起伏が大きくなる出来事がありましたので、ちょっと文章にでも残しておこうかと思い、本日は書いております。

 

徒然なるままに...の自己満文章のため、読みづらい点や何か提供できるものではないことに関しては、ご容赦ください。

 

 

まず、大前提として自分のことを「職業作曲家としては土俵に立つ資格すら持てなかった人間である」ということをこの一週間強く感じています。

 

40を過ぎて数年過ぎた今だからこそ少しは俯瞰して見られるようになったと思いますが、20代30代の自分は本当に甘かった。

願望をよりどころに、精神的にも経済的にも自立できず、自分を変えるのではなく周りが受け入れてくれることを求めていた。

「白馬の王子様が…」ではないが、いつか自分の作品を受け入れてくれる世の中が来てくれる。そんな淡い期待を胸に生きていた。

この姿勢を職業人として考えた時には、完全に赤点である。と今思う。

そんな非常に未熟な人間でした。

 

これを書いている今となっては、苦い笑いを浮かべる程度の余裕をもてていますが、真っただ中にいた当時、本人の中では大きな問題であったように思います。

頑固で融通が利かず、怖いものから逃げたかった自分は、自分の本来の姿(と思っていたもの、別に全部本当の自分なのだが)を受け入れてほしいと思い音楽を作って、それが評価されるという淡い期待を抱いていたように思う。

 

私はもともと出世や仕事に興味がない。。。というか、そういうことから逃げたかった人間でありました。しかし、役目が人を成長させるとはよく言ったものだと思うが、当時の自分が今の自分を見たら、自分の将来のことを信じられないだろうと思います。

それくらいに変わりました。

行動が変わるという以上に意識が変わるということに驚いています。

とはいえ、自分ができるのは、トップではなく、せいぜいその下までなのであるが、それでもえらい成長である。

 

そして、そのレベル程度には成長した自分からすると、前述の通り当時の自分は生業にできる人間ではなかった。

まず、覚悟がなく、それは今でも変わりません。

 

それを仕事にして生きていくということができていなかった。

そう思います。

 

生きるためにはお金が必要なわけですが、それを組織の力を借りずに、全部自分の力で整え、実際にお金に換えるというのは生半可な覚悟ではできないと思う。

 

組織に入っていれば、ある程度の筋道はすでに作られているものであるが、そうでない場合、その筋道から自分で作らなければならない。

ある程度できたレールを走るということは、レールを作るという労力からしたら、はるかに小さく、後者の能力(努力できることなどを含め)は、大半の人には持てないものであろうと思う。

さらに、ただでさえ生きるために必要ではないエンタメの領域で自分の居場所を作り、お金を稼げる職業作曲家の方のバイタリティはすさまじいものがあると思う。

 

これらは、自分には持っていない能力である。頑張れることも能力である。私にはユーザーが必要としている作品を提供できる能力もなければ、頑張る能力も持っていなかった。

 

だからこその現状であると、今となっては思う。

 

ただ、そういう能力がないといけないと言いたいわけでもなく、自分にも役に立てることや価値があるということを、それ以前にくらべ本心から受け入れられるようになり、別に今の自分が間違っているとも思っていない。

その程度には成長したと思う。

 

結果的にいうと、職業作曲家として考えた場合は、向いていなかったし、頑張れなかったし、話にならなかったということである。

自分が何かダメだったわけではないが、一瞬でもそういう世界を夢見てそう生きようとした視点から評価すると赤点であった。ということです。

 

ただ、職業作曲家とし失格だったとしても、そういう人間が作った作品が無価値か?というと、決してそういうことはないとも思っている

少なくとも、自覚としては、自作が無価値だとは決して思っていません。

歳というのは重ねるもんだと思います。

まだ、道半ばですが、この感覚を持つに至れたのはまさに年の功でしょうw

 

ここまで、否定的な側面ばかりを述べてきましたが、この側面があったからこその作品が生まれたとも思っています。

 

職業として受け入れ頑張ることができず、能力もなかった、そういう一面が、あるいは自作には個性や特徴としてはあふれているのかもしれない。と思います。

それは、よく言えば、やりたい放題にやれた。自分がやりたいようにやれた。ということになるのかなと思います。

 

自分のことは自分がわかっている。。。とは限りませんが、とはいっても自己評価するとすれば、元来私は大変に「頑固」で「わがまま」で表面上従ったふりをしていても内心では「自分を曲げない」そんな人間なんだと思っています。

 

私には八方美人な側面があることも知っています、人に良く思われたい願望も強いし、なるべくうまくトラブルがないように過ごしたい気持ちもあります。

実際にそのようにふるまうことも少なくないと思っています。

 

でも、それは自分の持つある一面でしかなく、その反面、信じられないくらい言うことを聞かない側面をもっていることをなんとなく知っています。

 

私が自分が書きたいと思って作った作品というのは、その後者の側面が強く出ていると思います。

それは、別にそのように作ろうと思ってそうなったのではなく、そうしかできなかった結果として生まれたものだと思います。

ただ、そういった側面がもたらすものは悪いものばかりではなく、ある意味で尖った一面を持たせたのかもしれない…と最近は思うようになりました。

 

以前は、その尖った一面をだれにも理解されていないと思っていた時期がありました。

それも、ごく最近までです。

それに関しては、過去の自分を怒っていやりたい面もあります。

なぜなら、周りの友人たちは決してそんなことは思っていなかった。というのがわかったからです。

ただただ、自分の傲慢な側面がその意見を見なかったことにしていた。。。そう思います。

 

これが身近な友人だから思ってくれたのかというと、そんなこともない。と、少しずつ思ってきています。

 

今、確かな裏付けがあってそう思えているわけではないのですが、断片的に得られた情報から少しずつそのように思えるようになりました。

 

今の自分は過去の自分と比べたらだいぶ強くなり、そういったものがないと毎日がつらくなってしまうような状態ではありませんが、とはいえ、そういったことは励みにもなりますし、自分を肯定する強い原動力にもなります。

 

また、作品を作るものとしては、少しでもかかわった人に爪痕を残したいと思うのは本能なのではないかと思っています。

そういった意味で、徐々に消えない傷...というと負のもののように聞こえるかもしれませんが、何かその人に刻むことができていると感じられるのは幸せだなと思っています。

 

スタンスや本質を変えられることはできないと思います。

作品もその範疇を抜けることはおそらくないでしょう。

 

でも、届く人に届けられること、それは願ってもないことであり、そういったことの助けとなるような努力は続けよう。

 

そんな風に思った、ここ一週間でした。

 

何があったというわけではないのですが、たまには認めておこうかと

 

生業にはできていないが、でもそういう「作曲家」がいてもいいのかなとも思っています。