モーツァルトのホルン協奏曲のピアノ伴奏や、プーランクの六重奏の練習をしていたら、左腕が筋肉痛になりました…
プーランクの六重奏で一番できないのは冒頭のスケール(左手が右手に追いつかない...)で、モーツァルトのホルン協奏曲で一番できないのがコーダ前、ホルンがカデンツァを演奏する直前です。
どんなところかと申しますと、こんなところです。
はい、単純に基礎練習が足りてないのですが…
てこの原理がうまく使えないのですよね。左手の人差し指を支点にするようなイメージで、上手くやれればいいのですが、ね...
これが1拍取り出してだったら、なんてことなく出来るのですが、続いているというのが厄介でございます。
またね...オーケストラをピアノに書き換えるときの問題点もよく表れている譜面であったりします。
オーケストラであれば、この伴奏の内声に当たる部分(左手の親指から中指あたりで弾く同時2音)はオクターブ上に書かれているものであったりします。
右手で旋律を演奏させるために仕方なくこんな左手で演奏することになっておりますが、ベースラインのタイミングもおかしいし、またこの低音での密集配置だと響きが大変重ったるくなります。弾いてみるとわかります…
でもなぁ、自分でやるとしてもこうなっちゃうかもなぁと思うと、トランスクリプションって難しいなと思うところであります。
はい、与太話はこれくらいにして…
今日は最近読んだ本の話をしてみようと思います。
廉太郎ノオト
滝廉太郎の生涯を描いた作品です。史実に基づく物語だと思いますが、ノンフィクション...とは言えないかなぁ。されたであろう会話などは推測するしかありませんものね。
でも、「きっとこんな会話をしたんだろうな」と思わせてくれる作品です。
さて、前提知識がなくとも読み物として普通に面白いのですが、滝廉太郎について知っているともっと楽しめるかもしれません。
滝廉太郎といえば、「花」「荒城の月」が有名ですよね。でも、他なんだろう?と思われませんか?
実は、知らない曲がたくさんありました。
いえ、正確ではありません。滝廉太郎が作ったとは知らない曲が多かったというのが正解です。
たとえば「お正月」
もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月
おしゃれなアレンジでいい感じ
箱根八里
「荒城の月」のイメージが強かったので、「箱根八里」を作曲していたと知ってびっくりしました。
そんな中、一般的な認知度は低いながらも、私がもっと若かったころから知っていた曲があります。
「憾」というピアノ曲です。
こんな曲です。
哀愁と激しい感情の渦を感じさせる楽曲ですよね。
滝廉太郎が残したたった2曲のピアノ曲の1つで、廉太郎ノオトの後半で描かれる、彼の人生に大きくかかわる楽曲です。
なぜ、この曲を知っているかというと、中学生だったか、高校生だったかの時にこの本でも触れられている「憾」という曲を弾いたことがありました。
滝廉太郎の最後の作品とされているものです。
最後の作品と聞いて、ちょっと不思議だなと思ったのが、なんで最後の曲がこれなんだろうか?ということでした。
それは、曲調ということではなく、曲の作りについてです。
やけに簡素だなと思った記憶があります。
曲調自体は魅力的なのに、単純な三部形式で変奏も特になく短いものであったし、オブリガートやバス旋律といったようなものもないし、構成においても構造においても単調なものであったからです。
そう、最後の作品というよりは習作に近い印象を持ちました。
でも、それは当然だったんですね。
滝廉太郎は23歳の若さで亡くなりました。当時ドイツで流行っていた結核にかかり、亡くなったそうです。
ドイツへは音楽留学のために滞在していました。
これから本場西洋音楽をものすごいスピードで吸収しようとする矢先のことでした。
彼は一体どんなことを思い、感じ、そしてこの曲を書いたのでしょうか。
是非、この本の世界に使って、感じてみてください。
さて、ここからはタラればの話なのですが、もしも滝廉太郎が50歳、いや30後半くらいまで生きていたら、一体どんな曲を書いていたんだろうか?ととても興味深いものがあります。
きっと、とても面白い歴史に残る作品が生まれたのではないかなと思います。
彼の書いた、決して多いとは言えない歌曲にその芽があるような気がするからです。
たとえば、前のほうで触れた、箱根八里なんて改めて聞いてみると、短い曲なのに様々な曲調を持っていますよね。一貫して勇ましさはありながらも、元気いっぱい力強いところもあれば、優しさを感じる部分もあります。リズムも変化に富んでいながら、その配置も秩序がありつつ工夫されており、とても完成度が高いと思いました。
長く勉強し、長く生きたのであれば、きっと奥深い楽曲を作ったんだろうなと思わせる多面性を感じました。
そういう意味でいえば、「憾」は大作へつながる布石、習作になるはずだったんだなと感じました。
最初のピアノ作品である「メヌエット」と「憾」を聞き比べてみると、格段の進歩が見られることも、そのことを裏付けるものだと言えるでしょう。
メヌエットは即興で作られたものと言われており、そのためとも考えられますが、和声におかしな点があったり、旋律に計画性がなかったり、展開がいまいちだったりという点があります。発想はとても面白い曲ですけれども。
「憾」という曲を滝廉太郎が35歳で作ったとしたら...という体でおこがましくもアレンジしてみると面白いかもしれませんね。
ちなみに「憾」はこの曲集に入っていました。
初級編と書かれているように、ピアノ曲としてはさほど難しくありません。
(とは言っても、一定のレベルに達していないと時間はかかると思いますが…)
興味ある方はぜひ手に取ってみてください。