「第37回LMA音楽のつどい」に白浜コーラスマリンブルーで参加してまいりました。
こんな遠く離れてしまっても、使っていただけることに本当に大感謝。
演目は以下3曲。
- さびしいカシの木(やなせたかし/木下牧子)
- 海と涙と私と(やなせたかし/木下牧子)
- わたしとあなたと花たちと(峯陽/小林秀雄)
どれも、素晴らしい楽曲です。どれも本当に好きなんですけれども、最初に印象に残ったのはさびしいカシの木でしょうか。こちら、かなり人気の合唱曲のようで多くの合唱団で取り上げている楽曲のようです。
女声三部合唱と女声二部合唱、どちらもあるようです。ちなみに、もともとはソロの楽曲です。
やなせたかしさんといえば、「アンパンマン」の作者としてとっても有名なお方ですよね。ところがやなせさんはアンパンマンを生み出すよりもっと前から詩人としても活動しておられたようです。
このさびしいカシの木ですが、子供から絶大な人気を誇るアンパンマンのその作風から想像するとかなりギャップがある詩だと思います。
タイトルにさびしいとついているように、本当に「外から見ると」とても寂しくて、「可哀そう」にも映るのですが、でも、本人としてはどうなんでしょう?案外寂しいという気持ちがわからないのかも。と思うような淡々とした表現で、かつ懐の深さを感じる優しい詞であります。
泰然としているというのか、諦観しているというのか…いや、諦観ではないなと思います。もっと、時に身を任せているというのでしょうか。
その歌詞を木下牧子さんの楽曲がさらに優しく包み込んでいて、なんというのでしょう、溜まった澱を流してくれるような楽曲であると思います。
人間、最期というのはあんな感じなのかもしれませんね…
ちょっと脱線しました。
そんな素敵な楽曲たちを、マリンブルーのみなさん、素敵に歌い上げました。
そんなに人数がいる合唱団でもないのに、よくホールを鳴らしているような歌声であると感じました。客席では聞いてないので、はっきりとはわかりませんが、舞台上からはそれが想像できるような歌声でした。
歌は、言葉を扱うものなので、単純に音だけ並べればいいわけではないとは思うのですが、でもやっぱり音楽であるので、言葉の処理云々の前に(前にではなくとも、少なくとも並行して)音楽的であることは必要だと感じました。
音楽として成立していないと、体に浸み込んでこないんです。
音楽として成立しているというのは、ホモフォニックな面においては、各パートの響きが有機的に結合していること、旋律要素が一段階目立って聴こえること、そもそも響きが豊かであること。これに付け加えてポリフォニックな面においては、各パートの独立性と主張がホモフォニックなものに比べてより聞き取れることあたりが大切だと思います。
なにより、歌声そのものの響きが貧弱だと訴える力に欠けるように思います。よく、口先だけで歌っていると言われるような歌い方とでもいいましょうか。浅い歌声、鳴ってない歌声。
ちょっとこういうことを書くと問題かもしれないのですが、訴える力が弱い…という点に付け加えて、浅い歌声だとその年がバレル気がするんですよね…
声帯の年齢がダイレクトに伝わる印象というか…
どうしても衰えると思うんです、器官だから。
それに加え、楽器でもそうなんですけれども、発音器官だけで鳴らした音って、本当に貧弱なんですよね。たとえば、オーボエなんて、リードの部分だけで鳴らした音はけたたましいだけで、全然いい音ではないんですよ。あの発音を楽器の管体を通して響きを作ることによって美しい音が生まれているんだと思います。
さらに、その音をホールが増幅して…
と考えると、声も同様で声帯で出したおとをどんだけ増幅し響きをつけられるか?という点に尽きるのではないでしょうか?
浅い響きの声は年齢がばれると申し上げましたが、体を使って響きを増幅させた声というのは、その年齢を感じさせないものになっているように聞こえます。
こういう響きの声が出せれば、年齢というのはむしろ武器になり得ると思うのですよね。積み重ねてきた年月や年齢は声に魅力を乗せるように思います。
加齢って悪く言われがちですが、それは年の重ね方次第だと思うんですよね。それなりに深い経験を積み重ねてきた方は、人間に奥行があるように感じるんです。
ときどき、仲睦まじい様子が見て採れるご年配のご夫婦を見たり、かわいいおばあちゃんやかわいげのあるおじいちゃんを見かけたり、思慮深い方を見かけたりすると、あぁ、こういう年の取り方をしたいなと思います。
素敵なんですよね。
いくつになっても美しい人っています。その年齢の美しさが出せる人間でいたいと思います。
とまぁ、何が言いたいかと申し上げますと、マリンブルーのご婦人がたの作り出す歌声はこういう類の美しい響きのある声だと思うのです。
もちろん、歳の積み重ね方は大きいですが、前提としてはやはり技術が大事であることは間違いないでしょう。声を増幅し、響きを付けるのは技術ですし、楽曲を解釈し、また正しい発声によって言葉の意味が沁み込むようにするのも技術です。その体得方法を教え、定着させるのは指導者の役目ですよね。その点、指導者との信頼関係が強固なんだなと思います。
人間関係、やっぱり最後は信頼関係だと思います。
とてもいい合唱団です。
毎回情感たっぷりの音楽が演奏できて、感じることが多い合唱団です。こういう演奏に関われる幸せを忘れないようにしたいなと思います。
また、実は昨日の練習の後に、マリンブルーのご婦人から花束(というか、なんかもっとすごいもの)をいただきました。
実は、私作曲、中高の同級生作詞の歌を今度歌っていただけることになったのですが、そのことで、いただきました。
作曲者が直に見て、聴いている前で歌うことなんて、ないだろうから。
ということでいただきました。
お花を頂いた事や、そう思ってくださったこと自体ももちろんうれしかったのですが、それにも増して、(少しおこがましいですが)自分の作ったものにそういう力があったのか…そういう気持ちを抱いてもらえる、というか、役に立てるものだったのか…という事に嬉しくなりました。
ちゃんと音楽を作れたのかなという気持ちを、少し持つことができました。
ということで、実は弾丸で実家に帰省(と言っても、寝床を借りて、朝ごはんをいただいてくらいしかしてないのですが)してきましたが、濃厚な時間を過ごしましたー。
また、明日から東京でがんばりますー。