POPSにも果敢にチャレンジ!クラシック作編曲家 田丸和弥の音楽日記

鴨川在住の作編曲家が、作編曲家、演奏家、音楽愛好家さんへの便利情報を提供します。時々鴨川ネタもご紹介

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ある意味思い出深い音楽の先生たち

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今日は完全に個人的な内容でございます。

 

ふと、昔のことを思い出しました。私が子供の頃、ちょっと上の世代は中学は荒れていたくらいの時期、そんな時は、まだ、怖い先生がいた時代でした。体罰こそ、問題になりつつある時期であったようには思いますが、でも、今だったら考えられないような(傷害事件になってもおかしくないような)ことも起きておりました。

 

そんな時代のある意味で思い出深い先生たちについて書いてみようかと思います。

 

小学校高学年の頃だったと思います。普段はあまり忘れ物をしないタイプだったのですが、そのことがあった時、たまたま音楽の教科書を忘れてしまいました。

休み時間に気が付いたので、隣の女子生徒に、お願いして見せてもらえないかお願いいたしました。

そんなに話したことのあるタイプでもなかったのですが、いい人だったというか、おそらく常識人だったというか、見せてくれることになりました。

 

で、いざ音楽の授業の時。

たまたま忘れ物をした生徒が何人かいたように記憶しております。

 

で、まぁ、叱られたわけです。忘れ物をしたのが悪いので、それは当然です。みんなの前でさらし者にしなくても良くない?とは思ったけど、自分が悪いので仕方ありません。

 

で、ここまでであれば、ふつうのことですが、何の経緯か、「授業をどうするつもりだ?」というような事を聞かれたので、「となりのSさんに、見せてくれるようにお願いしました」という旨の返答をしたところ。

 

「Sさんは不親切な人です」のようなこと(正確には覚えておりません…)をおっしゃいました。

「えぇぇ!?どうして?」と当時の私は思ったことでしょう。おそらくだから覚えているのだと思います。

 

続けて先生は理由をおっしゃいました。「教科書を見せるのは、Tくん(私)のためにならない。(おそらく、罰を与えるか、忘れたことによる痛い思いをしないと反省をしないからという理由)。それなのに、見せるのはSさんは不親切だからである。私(先生)だったら、見せない」というようなことをおっしゃいました。

 

今だったら、ツッコミどころ満載なのですが、「おったまげー」です。

 

まず、一番ひどいなと思ったのは、Sさんをみんながいる前で悪者に仕立て上げたこと。頼まれたからしかたなく、おせっかいをしたわけでもなく、親切心でやった行為をもとに、人格否定をされました。

「不親切だ」という発言は、目的が咎めることだったとしても、人格否定です。

 

ただ、咎めるだけであれば「忘れた人には見せる必要はありませんよ」とだけ発言をすればいいはずです。まぁ、それもどうかと思うが…先生の立場からすれば、生徒が授業を受けられない状況のまま放置するのは悪手であると思います。それに、大人だって忘れ物をするけれども、なくて、物事が差支えるくらいであれば、しぶしぶかもしれないけれども、滞りなく進ませるのが本来ではないでしょうか。それとも、学校に「しつけ」的なことまで求められていたから仕方ない?ということなのでしょうか?いやぁ、こんな大集団に一律に適用できる「しつけ」なんてないので、自分の仕事を全うできるように持って行くのが本来ではなかろうか。。。なんていうのは甘いのでしょうか。

 

そんでもって、もう一つ酷いなと思ったのが、Sさんを利用することで間接的に私をさらし者にした。ということです。

私のせいでSさんが悪者になっているというシチュエーションに私がショックを受けるということをわかってやっていらっしゃったと思います。

 

それも、教育なのでしょうか。

 

たしかに、次の授業から忘れ物をしないように気を付けるようになったと思います。でも、それは「忘れ物をして不便をしたから、しないように気をつけよう」と思ったのではなく、そういう理由で忘れ物をしないように促すのが本来の姿ではなかろうか…恥をかかされたり、晒し者になるのが怖いからやめよう…と思ったからです。

 

よーく考えてみれば、すごく日本的な叱責のしかたかなと思います。割とありふれているし、やもすればやってしまいがちな方法かもしれません。

 

でも、大人になって振り返ってみると、やっぱり叱責ではなくて、つるし上げ、現代の企業であれば問題になるパワハラに近いように思います。

 

その先生に特別悪い感情を抱いていたわけでもないし、今でもそんなこともないのですが、この出来事だけは覚えています。うーん、やっぱりおかしいよね。

 

これより酷くはないのですが、似たような別なこともありました。

クラス合唱のパートわけ(ソプラノ、アルト、テナー、ベース)をするために、「同性同士、重ならないように5回、累計5名と組んで、高、中、低3種類の音階を歌い、上パート(ソプラノ、テナー)か下パート(アルト、ベース)かお互い判定して伝えましょう」という機会がありました。この説明でわかります?

パートわけを生徒同士にやらせたわけです。

奇数回なので、上か下かの絶対どちらかに割り振られるはずでした。

 

で、私が当たった1名なのですが、音程が変えられないタイプ(おそらく音程を変える技術が未熟だったのではないかと推察)で、上か下かとても難しい子がいました。

で言った答えが「どっちとも言えないけど、どちらかというと上かなぁ?」という回答。

この回答が中途半端であることは否定いたしません。だって、難しかったんだもん…上とは伝えておりましたが、「どっちとも言えないけど…」が残ってしまったのだと思います。

 

で、いざ結果発表の時、どうやらその彼は誰も判定できなかったらしく、「どちらとも言われてません」という回答をいたしました。

いや、その回答はしかたないです。そう取れる発言をしてしまったし、他のメンバーもわからなかったのでしょう。

で、その結果について、先生が下した回答は「次回、もう一度やり直します」というものでした。

「いや、マジすか?その彼以外全員割り振り終わってるのに、全部やり直すの?」

というもの、これ連帯責任というやつなのだと思うのですが、いや本当に意味がわかりませんでした。

 

おそらく、「指示した通りの事をやっていないのが不服だったから」こういう結果になったのだと思います。

 

でも、そうだったとしても。その五人だけ呼び出して、「指示と違うことをしてはいけない」であったり、「わからなかったらその場で聞くように」であったり、という注意をすればよいわけで、そのほうが合理的だし、適当な叱責だったように思います。

 

それに、生徒には重荷なミッションだったわけです。

音楽経験も人生経験もそれなりに積んだ今、当時のことを振り返ってみても、「ピアノに合わせて音を変えることができない人のパートを振り分けるという行為」は、生徒には難しいミッションだったと思います。

 

なので、先生は上記叱責をしたうえで、彼だけ後から判定し、「あー、これは難しいね」と内心思えばよかったのに。なんて思います。

 

 

「いやぁ、すごく恨みがましいのですね。あなた」と思われるかもしれませんが、いやぁ、理不尽なことは結構忘れられないもんです。

叱責のポイントがずれていたり、その方法が卑怯だなと思ったら、結構引っかかっているもんです。

 

とまぁ、いろいろ書いてしまいましたが、他人のふり見てわがふり直せです。

 

大人は完璧ではありません。というのは、自分が大人になって初めてわかったように思います。(ダメな大人一杯見てた気がするけれども…)

 

結局何がいいたかったかと言いますと、「子供にとって、大人の発する言動の影響は、大人が思っているよりも大きいぞ」ということです。

 

小さい時の経験って、忘れないもんです。

 

少なくとも、間違ってしまったら、ちゃんと謝れるように、そして、論理的で矛盾がないかを常に問い続けないといかんなと思いました。

 

 

おわり…